ライトノベルの今後。

 寝ようと思ったら眠れないのでまた起きてしまった。
 id:otokinoki:20051201:p1の記述が大変に興味深い。
 こちらでも調査をして裏づけをとる必要があるが、今、読んだ時点では(未来はわからないという前提を意識すれば)けっこう説得力がある。特に第三世代おたくライターの台頭という所はid:mae-9とかid:cherry-3dを見ていると妥当だといえるし。
 ただ、彼らは基本的に東浩紀大塚英志史観の延長線上で仕事をしている。ぼくが『波状言論』のスタッフをしていたときに彼らと話していて一番興味深かったところは、東さんとの共通点ではなく、OTAKU文化の理解に関する東さんとの相違点である。だから彼らには東/大塚理論とは違う観点から――端的に言えば、東さんのようにフランス現代思想をベースとした文芸評論的アプローチでも、大塚さんのような教養、歴史あるいはキャラクターの内面や成長、移行対象/商品としてのサブカルチャーというアプローチでもなく、従来の学問、エピステーメーからは捉えきれないOTAKU文化の表象分析をしてほしいと勝手に願っている。特に「文学フリマ」で前島くんの個人誌を通読して感じたのだが、前島くんにはもっと小説を書いて欲しい。
 東さんのおたく論は、ぼくが読む限り、萌え要素がデータベース・モデルで捉えられること、そして動物化した受容者のための「萌え」作品の中でも従来の作品にはなかった構造を持つ作品ややリアリズムの変容、更新を持つ作品たちが(ぼくが知らないだけかもしれないが)取り上げられることがほとんどで、「萌え」それ自体の良さ、あるいは95年以降のOTAKU作品それ自体の特長が作品表象自体からは捉えきれていない。
 最後に細かい指摘だが、id:otokinokiさんの「十年一日の如くデッドコピーやサンプリング作品をつくる人材は自然に淘汰されていく」という発言は、80年代以降、特に90年代以降のダンス・ミュージックにおける「サンプリング」の定義を踏まえると些か的外れであると言わざるを得ない。
 この点については

シミュレーショニズム (ちくま学芸文庫)

シミュレーショニズム (ちくま学芸文庫)

やDUM DUM TV、cornelius、PizzicatoⅤ、
ディスカバリー

ディスカバリー

Devin Dazzle & The Neon Fever

Devin Dazzle & The Neon Fever

などを参照すると、サンプリングがコピー、剽窃という文脈ではなく、20世紀後半に生まれた画期的な創造的方法論であることがわかるはずだ。