地蔵盆。

 夏さん(id:natsu-k)から地蔵盆という民俗行事を教えてもらった。夏さんのお祖母さんは八百屋を経営されていたことがあって、そこでは夏に地蔵盆という風習があったという。夏さん曰く「日本のハロウィン」で、その商店街にはたくさんのお地蔵様があり、夜、子どもたちは線香とお供え物をして、代わりに置いてある駄菓子をもらってくるというもので、お菓子はもらえるし、夜、外に出られるという高揚感も得られるので、毎年それが楽しみだったそうだ。
 寺社仏閣マニアであり、民俗行事に関心があるぼくは、寡聞にしてその風習を知らなかったのだが、民間信仰の対象としての地蔵菩薩の性格と神戸(=古くからの要衝であり、京都、大阪から見れば地方都市)という土地柄と商店街というところから、少なくとも関西だけの風習、ひょっとしたらその商店街だけの風習かもしれないと思った。
 そこでとりあえず、ネットで調べたところ、次のようなサイトを発見した。

http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/jizobon.html
http://kyoto.cool.ne.jp/jizo/Jizo/jizobon.shtml
http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20040810A/
http://www.wakasa-obama-kanko.org/gyoji/jizo_bon.html

 やはり、地蔵盆は関西独特の民俗行事のようだ。
 地蔵盆が江戸に興らなかったのは、江戸商人における稲荷信仰や恵比寿信仰の隆盛と、水子という概念が江戸時代の名僧、祐天上人によって作り出されたものだということが関係あるだろう。この点に関しては、

文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫)

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江戸のはやり神 (ちくま学芸文庫)

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などを参照して欲しい。
 また、地蔵盆は京都から発生した可能性は高いものと思われる。何故なら、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=25977
にもあるように、京都には冥土に通じると言われている六道珍王寺があり、この寺は盆と関係が深いからだ。
 もう一つは、
http://www.wakasa-obama-kanko.org/gyoji/jizo_bon.html
にもあるように、若狭にも地蔵盆の風習があり、文化人類学的な見地から言って、古来からの文化の中心地である京都から、周辺地域に伝播したと考えるほうが理にかなっているからである。*1
 ぼくはほとんど旅行に興味がないが、唯一、寺社仏閣や建築物を観たいという欲望によって、旅行に行きたいと思うことがある。京都、奈良、神戸は面白そうだ。

 ぼくが民俗行事や宗教に興味があるのには、二つの大きな原因がある。
 一つは幼少時に水木しげるさんのマンガに大きな影響を受けたことと、もう一つは祖母が信心深いため、民俗行事や宗教が身近にあったからだ。
 うちには稲荷と竈神が祀ってあるし、仏壇と神棚と蘇民将来の魔除けと不動明王の御札も角大師のお札もある。正月、初午、節分、お彼岸、盆の行事*2もやるし、祖父の命日には墓参もするし、祥月命日にはお供え物をする。また、祖母は豪農の長女として生まれ、米屋に嫁いだので、お稲荷さんや恵比寿さまなどのことをよく知っており、恵比寿講も今でもやっている。第一、祖父は大東亜戦争で戦死したので、靖国神社に祀られ、神となっている。*3
 これらのことは、ぼくの人格形成に多大な影響を与えている。祖母に感謝する。

*1:追記:とか書いたけど、既に地蔵盆ってキーワード化されてるじゃん! 後、ぼくの母は北関東出身なのだが、実家でも「地蔵盆」という民俗行事はあったとのこと。しかし、関西に行われているようなものではなく、ただ、お寺に行って坊さんの説法を聞くだけらしい。だからこれは江戸期以降の風習と思われる。また、祖母に地蔵盆のことをきいたら「そんなものは聞いたことがない」とのこと。

*2:ぼくの一家は70年代半ばに練馬に引っ越してきた。その後も盆に祖霊を祀ることは欠かさなかった。お迎えをする地点は家から一番近い四辻だが、祖母が決めたそうだ。古来から道は異界との境界であり、特に辻が異界との接点であることを祖母は知っていたのだ。

*3:ぼくは、靖国神社は家父長制的国家政策によって建立された国家神道の象徴であるとはいえ、必要だと思う。戦争で夫を亡くした祖母の精神的な拠り所だから。ただ、兵役で死んだ者だけでなく、また、日本人だけでなく、あの明治以降の戦争で亡くなった全ての人を祀れば良いと思う。ちなみに銘記するが、ぼくは国家/地域/民族主義は嫌いだ。