江戸時代はOTAKU文化の源泉か。

 「世界!ふしぎ発見」で「南総里見八犬伝」を特集しているので観る。
 …いや、昨今の巷間の情勢を考えれば仕方がないのかもしれないけど、言うに事欠いて「八犬伝」をファンタジー呼ばわりはないだろう。ちゃんと「伝奇」って言え、「伝奇」って。視聴率のためにファンタジー・ブームを踏まえたいなら「西洋にファンタジーがあるように、東洋には『伝奇(・志怪)』がある」っていう取り上げ方すりゃいいじゃん。
 この番組を観て「江戸時代はOTAKU文化の源泉だ」と思う人もいるだろう。それは間違いではない。しかし、OTAKU文化の源泉は江戸文化だけでもない。その辺については

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

などが参考になる。
 しかし、『動ポモ』でのオタク系文化に関するアメリカ文化の影響は、基本的にはメディア(雑誌、アニメなど)やジャンル(ミステリ、SFなど)の点で捉えるべきだろう。また、『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』での現在のアニメを江戸以前の日本文化に接続する視点を批判し、西洋近代の介入を強調する視点も素朴に受け止めてはならない。本書はあまりにも西洋近代を一義的に定義しているが、東洋の外れにあり、中国/朝鮮から大きな影響を受け、後に鎖国して、欧米からの圧力で近代化した日本と欧米諸国の近代化の経緯を単純に同一視するのは危険だからだ。*1冒頭で述べているように、大塚さんは本書を現状に冷や水をかけるためにあえて乱暴な整理をしたのかもしれないが、だからと言って粗雑な論を展開していいわけではない。

*1:カルチュラル・スタディーズとかポストコロニアル批評を抑圧しているようにも邪推できる。