OTAKUであることを肯定できないオタク。

 8時頃起床。朝食をとり、内科と歯科に行く。病弱だととかく金がかかって仕方がない。
 帰ってきて、ネットをチェック。松谷創一郎さん(id:TRiCKFiSH)と伊藤剛さん(goito-mineral)による奈良幼女誘拐殺人事件についての考察を興味深く拝読する。(id:TRiCKFiSH:20050116#p1、id:goito-mineral:20050116#p1、id:goito-mineral:20050117)
 こうしたマス・メディアでの犯罪絡みのオタク・バッシングは宮崎勤事件以降、定期的に発生してきた。そうした動きにしかるべき根拠を元に対抗言説を提示することは重要だが、その際の「戦略」を間違えると逆効果になりかねない。その点で、松谷さんと伊藤さんの考察はとても参考になる。
また、犯罪とオタクの関係に対して、「自称」オタキング岡田斗司夫氏と「オタクになれなかったオタク」、大槻ケンヂ氏は

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

マジメな話―岡田斗司夫 世紀末・対談

に収載された対談の中で次のように語っている。

岡田 僕、あのときのオタク批判で一番嫌だったのは、世間の人がオタク批判するんじゃなくて、オタクの人たちが「宮崎勤は特別であって、あれはオタクじゃないんだ」と言っていたことなんです。どこが違うんだ。俺たちと全然違いはないじゃないか。彼が代表して捕まってくれた。言ってしまえばイエス・キリストみたいなものですよね。

大槻 まったく同感です。宮崎の部屋の映像が出たときに「あっ、俺んちみたい」というあの感じですよね。

岡田 俺んちみたいだし、友達でこれと同じくらいのやつ十人、これよりひどいやつ十人、ってあげられるわけですよ。だから僕は宮崎勤事件がきっかけでものをつくれなくなったところが、相当あるんですよ。それまではお気楽に、自分たちが思ってることをアニメにぶつけたりゲームをやったりするのはいいことだと思っていたし、いわゆる反体制みたいな感覚も自分の中にあったんです。でもあの事件で「えらいこっちゃ、これは世の中に反抗している場合ではない」と。

 
●オタクになれないコンプレックス

大槻 あのとき僕は、とにかく宮崎勤にあれだけの知識量を発表する場を与えれば、あんな事件は起こさなかっただろうと思った。僕もそうなんですけど、自分のコンプレックスの部分を外に出しちゃうと、それが世に出る機会になったりするんですよ。だからオタクで悩んでる人は、オタクだっていうことをドンと出しちゃうと、わりと世間は認知してくれる。

岡田 してくれるのかな。

大槻 じゃないですかね。でも僕、昔『SPA!』の取材で、「オタクについてどう思いますか」と聞かれて、「僕はオタクではない」と言ったことがあるんです。なぜかというと、僕には「自分はオタクになれない」というコンプレックスがあるんですよ。非常に歪んでるんですけども。

岡田 わかります、わかります。

大槻 オタクの人というのは、ものすごい知識量があって、ある一分野については絶対負けない鉄の壁があるわけですよ。俺、そこまで壁を築いていないから、自分はオタクと名乗っちゃいけないんじゃないかっていうコンプレックスがあって。

 ここで僕の屈折のオタク史をちょっとかいつまんで語りますと、筋肉少女帯のベーシストは、ひばり書房の怪奇マンガを集めたりしてたヤツで、彼とは中学まですごい仲良しだったんです。彼は高校で美術部に入ったんですが、それが美術部という名のマン研。

岡田 八〇年代によくあるパターンですよね。美術部と思って入ったらマン研だった。

大槻 そのころちょうど『ガンダム』がありまして、『マクロス』がありまして、『イデオン』がありまして。

岡田 皆コロコロ転んだころです。

大槻 僕の学校にもアニメグループはあったんですが、彼らはすごいんですよ。いつも『六神合体ゴッドマーズ』の話なんかをしてるんです。彼らのロッカーに「GMのことで用あり」と書いてあったんで、「GMって何?」と彼らに聞いたらひと言、「ゴッドマーズ。」。『六神合体ゴッドマーズ』のことで用があるってのがまずすごいじゃないですか。まあ、僕も自分にオタク的素養があるのはわかっていたから、「身の置き場のないこの学校の中で、自分がいるべきところは彼らのグループじゃないか」と思って。ところが、そのメンバーに平井和正の息子がいまして、僕が「君のお父さんの本は全部読んでいる」って言った途端、彼は心を閉ざしてしまった。どうもお父さんに対するコンプレックスがあったみたいなんですね。そのうえ僕の高校のアニメ好きはみんな小林亜星系で、マラソン大会でいつもうしろの方にいるタイプだったんですが、俺、そのころ痩せてて、運動ができるように見えたらしいんですよ。それだけで「お前は違う」って言われて。

岡田 差別してくるわけですね。「お前は普通だ」と。

大槻 正直、寂しかったですよ。友達の方はアニメグループと接近して、同人誌までつくり始めて、学園ラブもどきもあって、楽しくやってるのに、私の方は何もない。わりとそれで酒鬼薔薇系になっていったという。
 
(中略)
 
●宮崎くん事件で、世間様にばれた気がした

岡田 宮崎くん事件、こうやって「宮崎くん事件」と俺の世代は死ぬまで言うんでしょうけれども、一番最初に思ったのは「ばれた」。とうとう世間様にばれたと。

大槻 何か泣き笑いになりますけど、ばれたっていう。

岡田 今までこれがばれるのが怖かったから、それが俺たちの創作のエネルギーになってたのに。僕らが選んだ生活や価値観を隠して、いかにも普通ですよという顔をしながら暮らすために、現実世界に対して「いや、僕たち、それを商売にして食ってるんですよ」とか、「いやいや、海外でもちょっと評価されてまして」みたいな嘘をこきながらやってきてたのにという。何で彼は捕まる前に部屋を燃やしてくれなかったんだろうと。

 あれがばれてしまって以来、自分がやってきたものや『マクロス』とかが真っ直ぐ見れないんですよ。「なるほど、要するにこれって、あそこから来てるよな」と。

大槻 たぶん僕はそこまでオタクになれなかったコンプレックスがあったから、オタクの人にいまだに憧れている感じがあるんですよ。本当につきつめたオタクの人の部屋とかそういうものに。だから宮崎勤の部屋とかが出たときに、「この生活に憧れてる人間だっているんだぜ」と言えばよかった。結局オタク的生活をしてきた人は、自分は身分制度でいったら一番下にいる人間だ。それを隠していたのに、宮崎のためにそれが白日のもとにさらされたっていうのがあったじゃないですか。でも僕は、その人たちの生活に憧れてる。

岡田 俺はそれ、「余裕があるから憧れるんじゃないですか?」というくらいひねこびてますね。何か、死体を食ってるところ見られたという気分なんですよ。皆さん、肉食、草食とずらっと並んでて、生存競争あるんだけど自分たちは死体食いだっていう。

大槻 でも、やっぱり俺はオタクの人に対する憧れが、いまだにあるんですよ。今日、それを初めて言えてすごく開放された。世の中では大槻ケンヂっていうと、オタクで、物事をよく知っていて、それでやってる人って思われてるところありますから。

岡田 それを幸せに転換してる人、というふうに見えますよね。

大槻 そうじゃないんですよ。僕はオタクになれなかったっていうコンプレックスが、中学時代から、酒鬼薔薇容疑者の年齢からあった。それでオタクの、基礎知識の部分をふりまくわけですよ、世の人々に。そうすると、だいたいメディアってあとからついてくるわけです。例えば『Xファイル』なんかも、オカルトオタクにしてみれば、あそこら辺はずっと前から全部知ってるから、流行りだすと「遅いな」みたいなことが言えるわけですわ。

 でも僕は、本当は広く浅くオタクの基礎知識を知っているだけ。それをふりまけちゃう変な才能がある。だからもしかしたら、自分はオタクの人から排除されるんではないか。実際、平井和正の息子には排除されたじゃないか、というものすごい屈折したコンプレックスがあるんですよ。

文中、強調部分は引用者による。

 ここでの岡田氏の発言は、おたくのシニシズム当然の帰結である。自分達の好きなものに後ろめたさを感じ、言い訳をしながら好きだというのは、やはり「間違っている」。ぼくは奇しくも岡田氏が社長を務めていた会社であるGAINAXのアニメ、

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を観て「これは素晴らしい! アニメは単なる子どもだましじゃない! こういうものを作ることのできる想像力は素晴らしい!」と思い、OTAKUになった。そしてその後、宮崎事件があり、オタクであることについて色々考えたものだ。
 宮崎事件の際、おたく側の論客で、ぼくが知る限り、唯一まともな反論をしたのは大塚英志氏だけだ。大塚氏の議論の全てを肯定はしないが、その姿勢は今でも評価されるべきだと思う。
 話はちょっとずれるが、唐沢俊一氏が雑誌『フィギュア王』での連載コラムで「最近、マンガなどへの表現規制反対運動などが盛んだが、そんなことは意味が無い。何故なら、これまでもエログロは盛んに官憲によって規制されてきたが、それでもエログロは生き残ってきたのだから」(大意)と語っている。また、やおいに対して「やおい好きな女性の多くは現実には男性と交際しているのだから、ホモが好きなのではなく、『こういう世の中には認められないものが好きな私たちって特別でしょう?』と自己表現したいだけなのだ」(大意)とも語っている。
 岡田氏、唐沢氏の上記のような発言に代表されるように、今日まで、オタクの中にこうした屈折は色濃く残ってきた。
 しかし、これだけアニメ、マンガ、ゲームの青少年への影響が論議され、かつ国際的に日本のアニメ、マンガ、ゲームが注目されている現在においては、このような態度は改められるべきである。*1
 宮崎事件以降、「おたくの楽園」は終わった。これからは否が応でも、自分達の文化を社会との関わりの中で位置づけし、培っていかなければいけない。これは業界人や評論家だけでなく、OTAKU文化を愛する全ての人の問題である。

 昼過ぎ、Sから電話がかかってきて、Sの仕事の都合で車の写真の撮影をするために小金井公園へ。Sが写真を撮っている間、ぼんやりと辺りを眺めていると、凧揚げをしている人が数名いて、和凧と観たことの無いタイプの凧(カラーリングはフランス国旗)が高く揚がっていて、しばらく見蕩れる。その凧は長方形で、尻尾もないのに、よく揚がっていた。安定させるための糸が9本くらいついていたので、その辺がよく揚がる秘訣なのかもしれない。
 その後、狭山湖周辺をドライブして帰宅。


http://hogehoge.que.jp/thh4601/diary/?date=20050114
記事の題名が最早平成新造語。

*1:余談だが、昨年、朝日新聞で「萌え」についての特集で唐沢俊一氏がコメントを述べていたが、彼が現在の萌え現象について、一体、何を知っているのか。「萌え」について評論家にコメントを求めるならば、東浩紀氏(id:hazuma)なり、佐藤心氏なり、伊藤剛さんなり、永山薫さんなり、適任者は他にいくらでもいるではないか。