えーと……。

 望月さん(id:motidukisigeru)のはてな日記をモニタで読むのが苦痛なので、全部プリントアウトした。A4サイズの紙で500枚オーバー。もう「東浩紀の文章を批評する日記」って裏・波状言論だよ。だって、読んでいるとすごく面白いから。かなり中毒性がある。
 しかし、ぼくが指摘しようと思った点については、望月さん自身が議論の過程で気づいていたり、southさん、ねずみさん、マルセルさん、ファウストさんといった方々によってほぼ、指摘されていました。*1
 ある程度、考えがまとまったら、ちょっとずつ望月さんとの再確認作業という意味合いで、望月さんの東浩紀批判に対する批判文を公開していきたいと思います。

 それから、望月さんのはてなでINOSANという方が以下のような書き込みをされていました。

と望月氏へのリジョインダーで述べられていますが、端的なコメントになりますが、「使える」と判断した根拠を実証的に示す必要があることについて、無自覚なように読めてしまうのは私だけでしょうか?理論の実証性について不備な点があるのは認めておられる様なのでいっそう不思議です。感情的な批判とそうでない批判をどう区別しているのかもわかりません。帰納的手法に無理解なだけではないかとも感じます。

この点に関しては、似たようなことを他の方にも指摘されたので、反省してます。
 現時点で、望月さんの議論に対する実質的な批判をしていないことは、望月さんのはてな日記を精読していることと、望月さんとの議論が一通り形になった後での展開を考慮に入れているからなのですが、読者の皆様にとっては、これまでのぼくの文章がまどろっこしいものでしかないのだろうと思います。
 とりあえず、「使える」と判断した根拠は、ぼくはそれこそ、帰納的思考の罠に陥りがちなので、東さんの理論のようなスケールの大きな枠組みが視えにくいんですよね。で、望月さんはその枠組みは歪な上に取りこぼしが多い、と考えられていると理解しているのですが、どうでしょう?>望月さん
 また、ぼく自身を東信者ではないと書いたのは、特定の宗教に帰依している人が主観的にその宗教に対する信仰を持っているようには、ぼくは東さんの著作を認知していない、という意味なのですが、ネット用語における「信者」は他者によって規定される問題なので、ぼくの文章が東信者めいているというふうに読めるとしたら、それはそうなのだと思います。

互いの関連の薄そうな対象(しかもオタクからの批判を分析する文脈で非オタクをも含めている)を想定している理由がわかりません。学歴コンプレックスがあるのはどちらでしょうね。

 正に東さんの活動が互いに関連の薄そうな領域を誤配させようという試みであって、それによって、多方面から批判を受けているからなんですけどね。あと、東さんが典型的なエリートコースを(少なくとも昨日の日記で書いた時点までは)歩んできたことはほぼ誰しもが認めることでしょう。それが良いこと、尊敬すべきことに短絡するのかどうかは別問題として。そして「文系男子の階級闘争」という側面は、やはりあると思うんですけどね。

*1:特にsouthさんとファウストさんの指摘はかなり鋭い。