は「存在」せざるを得ないのではないか?

 id:hhosono:20050412#p2で神に続き、今日、ふと考えたことを書く。
 以前にも書いたが、多くの宗教で言われているような神は「この世」にはいない。少なくとも人間にはその存在を言語で完全に証明することはできないし、ほとんどの宗教において、神は「この世」とは別の世界に存在するとか、人間の理性でその存在を記述することはできないとしているわけだから、無神論と宗教の説く神は対立しないと考えることもできる。
 宗教の権力が弱体化した近代以降、神は変化した。しかし、人間は<神>のような超越的存在を想定せずにはいられないのではないか。精神分析における超自我とか大文字の他者と言った概念だけでなく、社会とか人権とか初等教育の現場で使われているような意味での民主主義などは皆、表層は変われども神と宗教の構造に似ている。アメリカを中心としたグローバリズムは、民主主義という「宗教」の分派による宗教戦争のようなものだ。
 ぼくの現在の<神>への関心は、もうちょっと個人的な視点にある。とりあえず

存在と時間〈上〉 (ちくま学芸文庫)

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存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)

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身体の社会学―フロンティアと応用 (SEKAISHISO SEMINAR)

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を読んでもっと突っ込んで考えよう。