メジャー・

 id:unterweltさんがid:hhosono:20051111#1131672764に再びレスをくれた。有難い。
id:unterwelt:20051115:p1
 まず、ぼくの「音楽業界に携わる人以外、つまり受け手は個的体験としての音楽史を重視(絶対視ではなく)した方が良いと思う」という意見に対して、栖哩さんは

(それは)理想ではありますが、難しいのではないかと思います。というのも、これは私の体験も入っていますが、音楽雑誌を読んでいたりすると「自分がこのミュージシャンから影響を受けて……」という話が出てくるので、どうしても歴史というものに意識的にならざるをえないと思います。
(()内引用者による補足)

と仰っており、純粋な消費者が歴史を意識することについては、ぼくも否定しません。それは各人の自由です。ぼくが言いたかったのは、自分が好きなバンドに対して「このバンドは○×というバンドの影響を受けていて云々」あるいは「このバンドは結局○×チルドレンで云々」とかいうことを聞いた/読んだときに、それが例え歴史的に真実だとしても、自分が様々な音楽を聴いてきた個的体験を大事にしたほうがより音楽を楽しめるのではないかということです。それが「「オレ歴史」では、パンク・ミュージックの始まりはsex pistolsであり、テクノ・ポップはYMO」ということです。もちろん、ぼくも音楽雑誌などによって自分が好きなバンドのルーツを知って、それを聴いてみることもしばしばありますし、音楽史を軽視するわけではありません。

細野氏の文章を読んだときに「この人は邦楽なんて洋楽のパクリじゃん」みたいなことをいっていると思ってあの文章を書いたのですが、どうも細野氏の反応を読むと「オリジナル」の意味が私と違っているので、その辺が私の反論になったのかなぁ、と思います。

 ぼくは勿論、「最近の日本のメジャー・ロックバンドは邦楽のパクリ」だとは思っていません。また、ぼくもオリジナリティ=(作家性=)独自性と思っています。そしてどちらかというと、洋の東西を問わず(そして音楽に限らず)ポップ・ミュージックが音楽を聴くということが手段と化し、それ以外の目的の比重が大きくなっていることを危惧しています。
 80年代以降、CM業界とカラオケの普及によって、音楽は広告化/コミュニケーション・ツール化が飛躍的に進みました。90年代においては携帯電話の普及と音楽番組のバラエティ化によってそうした傾向が加速しました。
 携帯電話の着メロやカラオケで歌う曲などによって「自分はこういうものが好きだ」ということを他者に示し、「これってあたし/オレ!」というようなアイデンティファイを行い*1、「今日は鬱だから○×でも聴くか」というような行為、これらこそが「音楽を聴くということが手段と化し、それ以外の目的の比重が大きくなっている」ということです。
 しかしぼくは、純粋に音楽を聴くやつが偉くて、上述のように音楽を消費している人々がバカだとも思いません。それもやはり各人の自由ですから。
 しかし、メジャーな音楽産業において、そうした音楽を重視し、多様性が失われることは、一音楽愛好者として憂慮しています。つまり、YMOがデビュー時に世界三〇ヶ国で三万枚ずつ売ろうという戦略を立てたことやP-Modelや中期〜後期筋少のレコード会社との闘争の歴史などを考えると、多くのリスナーからの支持は得られないものの、一部の音楽マニアから熱狂的な支持を得るバンドの活動が見えにくくなるのではないかと思うのです。

*1:

参照。