ハイパーリアリティがリアルを覆う。

 仕事しながらテレビをつけっ放しにしていたら、「THE ワイド」で根性大根のニュースがやっていた。コンクリートの隙間から生えた大根がニュースになり、単なる大根ではなく「ど根性くん」という名前がつき、故にその大根を折る人が現れ、相生市市長が「立派な葬式をしてやりますわ」などとテレビ番組のインタビューで公言し、折られた「上半身」を水に漬けて保存し、株分けしようと経緯を報道するマスメディアは、もっと大きな国内外の諸問題を消費されるニュースとしてではなく、視聴者のためになるような番組を作るべきではないか。
 「殺伐とした世の中だからこそ、こうした心温まる話題も必要なのだ」という反論も予想できるが、この程度の「心温まる」出来事はマスメディアに求めずとも、各自が自分の生活の中で充分見つけられると思う。それにこうした「ちょっとした心温まる出来事」がマスメディアによってハイパーリアル化されることの弊害は大きい。しかし、政治的な問題などについて知ろうとすれば、多くの人はメディア(マスメディアだけでなく、専門書なども含めて)に頼るしかない。殺人や戦争などの報道で、専門家がコメントすることがあるが、そこで放映されるものは大抵、一般論で予期できるものでしかなく、意味がない。専門家の方々がテレビ番組でインタビューを受けるとき、2時間ほど話し、その中で単なる一般論を越えた、専門家ならではの見識を述べていても、使われるのは数十秒〜数分で、それは単に専門家の権威を借りつつ、特定の方向に大衆を煽動しようという意図が透けてみえる。
 民放はダメですよ、本当に。公共放送とかCATVのほうが遥かにマシ。
 あれだなー、八〇年代にボードリヤールとかの概念を使って情報化/商品化社会とか嘯いていた人たちの罪は重いなー。大塚さんはそのつけを支払おうと頑張っているけどね。