誤配的容貌?

 打ち合わせをしてきた。クライアントに「何故ぼくに仕事を?」という話をしたら「顔が凶悪だから」と言われ、珍しいケースだと思う。
 「いつも不機嫌そう」とか「何を考えてるか解らない」という類のことはよく言われる。しかし別にいつも不機嫌なわけではなく、そういう顔をしているだけだし、ぼく自身は裏もへったくれもなく、いつでも見たまま、つまり怒っているときは怒った顔をして、喜んでいるときは全身で喜んでいるつもりである。つもりでしかなく、印象は常に他者の判断に委ねられるものだが。
 それにしても、ぼくが不機嫌そうな顔をしていることについて「何か嫌」と思われることこそあれ、興味を持たれるとは思わなかった。
 あと、「KRAFTWERKのTシャツとか着ていて、OTAKU文化以外の文脈も押さえていそうだったから」と言われ、これは想定内で嬉しい。
 中学生のときにおたくになり、同時期にOTAKU文化以外のサブカルチャーにも関心を持っていたので、19歳のときからおたくな場所に行くときは(例えば)THE RAMONESのTシャツを、サブカルな場所に行くときは(例えば)「CYBER PUNK 2.0.2.0.」のTシャツを着ることを心がけてきたぼくとしては、この指摘は喜ばしいものだ。そういやid:ziggrat-builderと仲良くなったのも95年のMADE IN HEAVENに一緒に行ったときに「CYBER PUNK 2.0.2.0.」のTシャツを着ていたからだもんな。
 しかし、こうした戦略が通用するのもあと数年だろう。この10年間は宮台真司さんの言う島宇宙化の進行過程にあったので、こんなことが通用したが、これから先、文化のアーカイブ化が進んでいるので、個人の関心がますます断片化し、だからこそ共同体意識を切望する人も増えるだろう。そうなったら、こうしたカウンターは通用しなくなるはずだ。*1
 そのとき、新しい誤配の手段は如何にして行われるのだろうか? 勿論、テロ以外の方法で。
 あ、同じ問題意識でちょっと違うことをid:hhosono:20050104#p2に書いたのでよろしければそちらもご覧下さい。

*1:その時には宮台さんの「右には右を、左には左を」も通用しなくなるかもしれない。すで宮台さんや大塚英志さんは「今の若い連中には逆説が通じない」と嘆いているのだから。