90年代のゲームと音楽。

 id:baldheadさんがid:baldhead:20050113でゲームミュージックの歴史をまとめてくださったので、それを参照しつつ、90年代のゲームと音楽の相互連動的なムーブメントについての覚書を書いてみる。
 80年後期〜90年代初頭は、ゲームミュージックの中で目立った動きとして、各ゲームメーカーのサウンドチームによるフュージョン・バンドの結成が上げられる。コナミ矩形波倶楽部、セガのS.S.T. BAND、タイトーZUNTATAなどがその代表例だ。彼らはいずれも(初期)YMOチルドレンと言っていいと思う。
 そんな中、90年代初頭のハードコア/デス・テクノの流行を受けて、ナムコサウンドチームによって、「F/A」が製作される。細江“めがてん”慎治さんを筆頭に、佐宗綾子さん、佐野“電磁”信義さん、相原隆行さんらによるナムコサウンドチームはその後、「リッジレーサー」でトランスやガバなどを取り入れ、それまでのゲーム・ミュージックと一線を画す作品を発表した。「リッジレーサー」以降の細江さんを中心としたナムコサウンドチームの一連の仕事については以下の記事が参考になる。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20041222/rrs.htm
また、「バーチャファイター」が発表されたあたりから、スチャダラパーM.C. BOSE電気グルーヴピエール瀧などが格闘ゲームにはまっているという発言があった。また、今はなき、新宿のAUTOMATIXというクラブでは、「バーチャファイター2」が置いてあり、ぼくの友達(だった人)はピエール瀧と対戦した。
 93〜94年くらいから、ライターの佐藤大らによってトーキョーゲーマーズナイト(後にTOKYO GAMER'S NIGHT GROOVEと改名)という、ゲームとテクノを同時に楽しもうというクラブイベントが始まった。この時期に欧米で日本のゲーム・キッズがある種のハッカーとして偶像視されていたこともあり、かつケン・イシイ、ススム・ヨコタ、ヨシヒロ・サワサキ、田中フミヤ、そして石野卓球らの活躍によって、ジャパニーズ・テクノと日本産のコンピュータ・ゲームが注目されていった。また、海外でもブラッグドッグというユニットの一人がハッカーだったり、多くのテクノミュージシャンがゲーム好きであることを公言している。
 だからこそ、

パルスマン PULSEMAN MD 【メガドライブ】

パルスマン PULSEMAN MD 【メガドライブ】

のリミックス・アルバム『PULSEMAN』やテクノ・ミュージシャンがBGMを手がけた
ワイプアウト

ワイプアウト

が発売されたのだ。『攻殻機動隊』のゲーム、サントラ発売記念クラブイベントでは、卓球氏その他、豪華ゲストが参加し、会場ではリアル・スケールのフチコマが展示されていた。
 これらの流れの中でもっとも重要な存在として、マイク・ヴァン・ダイクが挙げられる。彼は自他共に認める日本のオタク文化愛好者で、特に士郎正宗をリスペクトしており、士郎氏によるジャケットの
マルチマイク

マルチマイク

というアルバムも発表しているほどである。
 また、テクノとOTAKU文化の接近、そして電気グルーヴの登場、ガバの日本での流行以降、ジャパニーズ・ガバという流れが現れた。彼らの多くはアンチ・卓球、アンチ・テクノを標榜し、「テクノ=AKIRA」ではなく、「ガバ=はだしのゲン」というイメージを打ち出し、アニメやゲームからのサンプリングをオタク的な文脈で展開した。彼らがリスペクトしていた海外のミュージシャンの代表はTHE SPEED FREAKで、彼は来日するとまんだらけでオタクグッズを買い漁り、ジャケットにエロゲ―「はっちゃけあやよさん」をコラージュする剛の者である。
 それ以前にもある程度はあったのだろうが、95年頃からコミケでゲームやアニメのテクノリミックスCDが発売されるようになり、最近では同人ゲームのリミックスCDも頒布されている。
 そして、98年にはピエール瀧によってプロデュースされたゲーム
グルーヴ地獄V

グルーヴ地獄V

が発売された。
 更には80年代アニメ、アイドル歌謡曲+ゲーム・ミュージックニューウェーブという異色ユニットUNDER17の存在も忘れてはならない。
 ぼくがゲームとクラブムーブメントの両方をリアルタイムで見ていた限りでは「リッジレーサー」と「バーチャファイター2」あたりから、「攻殻機動隊」あたりまでが、ゲームとクラブミュージックのクロスオーバーがムーブメントとして盛り上がっていた時期で、それ以降はゲーム・ミュージックにテクノ・ハウスが使われることは当たり前になってしまい、ムーブメントと呼べるようなものではなく、単に定着していったのだと思う。

 上記の流れの中で、ぼくが特に好きなのは、佐野“電磁”信義さんによる"RARE HERO sanodigy mix"とマイク・ヴァン・ダイクの"mijk's magic marble box volume 2 tokyo trax"に収録された"Gamer's Night"と"Mecha Tech"である。"RARE HERO sanodigy mix"はとても美しいトランスな上に佐野さんならではの(そしてナムコならではの)遊び心あるサンプリングが入っていて楽しめる。"mijk's magic marble box volume 2 tokyo trax"はマイクのOTAKUっぷり全開のシングルで、ジャケット・アートにはどこかのOTAKUが描いた美少女(?)絵と攻殻機動隊が使われているし、裏ジャケには手塚治虫士郎正宗の言葉が引用されているし、曲名も"Gamer's Night"、"Little Lonely Otaku"、"Mecha Tech"、"Tokyo Underground" という素晴らしい煮え具合(笑)。特に"Gamer's Night"と"Mecha Tech"はこの頃のマイクお得意のアッパー系の名曲で、今聴いても素晴らしいし、去年のコアマガの忘年会でもかけました。でも"Mecha Tech"って、「日本のマンガと士郎正宗に捧ぐ」ってあるけど、サンプリングされているのはガンダムなんだよね(笑)。せめて「ドミニオン」とかにしておけば良かったのに……。

 というわけで、覚書ですた。あ、それからテクノとゲームが好きな人はid:FlowerLoungeさんのリミックス曲を聴くといいにょ。どれも秀逸だにょ。
http://www.flowerlounge.com/

2005年1月19日追記:ゲーム「パルスマン」に関するCDだが、フロッグマンのコンピレーション以外にも

がある。ステレオタイプって今も活動しているんだろうか……。

 昼過ぎ、打ち合わせのため、九段下に向かう。お相手は初顔合わせの人で、ゲーム関係の記事依頼(まだ決定ではないが)をされる。ありがたいことだ。巧く仕事に繋がるといいのだけれど。とりあえずの顔合わせで、打ち合わせはすぐに終了したので、せっかくだからこのまま歩いて秋葉原まで行ってみようと思い立ち、打ち合わせをしていた喫茶店を出ると、近くに靖国神社があったので、参拝しに行く。国家・民族主義は嫌いだけど、祖父が祀られているからね。参拝を済ませ、帰り際に当時の日本軍兵士が戦地から家族に向けて書いた手紙が掲示されていたので読んだところ、その内容のディープさに、衝撃を受ける。個人が国家の洗脳によって、自ら戦地に赴き、彼の地で死ぬことを受け入れてしまうというその事実にやりきれない思いになる。
 靖国神社の近辺には史跡がいくつかあるので、それを見て回る。まずは塙保己一和学講談所跡に向かったのだが、これがなかなか見つからない。途中、鍋割坂*1を通ったり、迷っているうちに千鳥が淵に出る。いい加減疲れたのでampmで弁当を買って食べる。
 塙保己一和学講談所跡を結局諦めて、次は築土神社へ。この神社は江戸初期に京都の伏見稲荷にから御魂を勧請して作られた神社で、平将門の霊を祀っている。また、火事その他で何度か場所が変わっており、その度に名前も変わり、現在の地に落ち着いたとのこと。ちなみにこの神社の狛犬は区内最古のものだそうだ。
 その後、曲亭滝沢馬琴の邸宅跡に向かうがやはり見つからず。途中、冬青木坂や二合半坂を通りかなりしつこく探したのだが、見つからないので、諦めて秋葉原へ。秋葉原に行く道すがら、硯友社跡地、改造社出版書店という本屋を見つけて「改造社ってあの改造社?」と思う。その後も潮出版社日本産業出版社、少年画報社ベースボールマガジン社コミックハウス茜新社を見かける。本当にこの界隈は出版社が多い。
 てくてく歩いていると、水道橋についてしまう。まあいいか、とJRと並行して歩きながら秋葉原へ。
 秋葉原ではマック用の電源ユニットやメモリの相場をチェックする。やはりシェアが小さいだけあって、品数も少ない。困ったものだ。
 秋葉原にいると、何故か体調が悪くなるので、早々に帰途に着きました。よく歩いた一日。

*1:台地を横断しているので、この名がついた。同名の坂は他にもある。