バンドブームのこと。

 id:hhosono:20031016#p2の註6で、バンドブームと前後して現れたバンドが好きだったように書きました。けど、ぼくが本当に好きだったのはスターリンとかTHE STARCLUBとかだから、厳密には違いますよね。やっぱりバンドブームの頃のパンクバンドの代表格ってラフィン・ノーズとかブルーハーツあたりでしょう。
 ラフィンといえば、ぼくが中学1年生の時にライブで観客がモッシュで圧死するという事故があって、そのことが当時の生徒会発行の学校新聞に載ってて、それでラフィンのこと知ったんだよな。
 もっとも、ぼくがラフィンをちゃんと聴くようになったのは中学3年生になってから。確かその頃、「夜のヒットスタジオ」の深夜版にラフィンが出て、"I CAN'T TRUST A WOMAN"をやったのを観て、「おー、こいつらがラフィンなんだ」と思った記憶がある。"I CAN'T TRUST A WOMAN"のイントロのベースは今でも格好良い。
 ブルーハーツは最初聴いた時は正直、ピストルズコピーバンドかと思った(笑)。でもアルバムを通して聴いた時に、日本語でパンクをやるということの意義という点から再評価した。
 当時は原発反対運動とかエコロジーがブームで、RCサクセションのアルバム「カバーズ」とかタイマーズとかブルーハーツ原発反対/戦争反対みたいな感じだったし、この頃までは「ロック=反体制」という図式が成立してたのかもしれない。ベルリンの壁が崩壊したのもこの頃だし(1989年)、やっぱり90年前後に大きな物語が弱体化し、国家などのシステムが大きく変容し、95年頃に社会のデータベース化/工学化が全面化してきたと考えるのは大きく納得できる。
 ついでだから90年前後の音楽産業の変化について書いておくと、ぼくがCDラジカセを買ってもらったのが中学2年生のクリスマスの時で*1、その頃はバンドブームという名のバンドバブルだったから、とにかくインディーズ・バンドで儲けようという意識が強い上にマイナーなバンドを売るための戦略もまだ整っていなかったので、今にして思えばかなりのきわものなバンドも結構メジャー・シーンに登場してた。その良い例がイカ天で、もっとも売れたバンドはたまだし、他にも人間椅子とかスイマーズとかブラボーとかですらメジャーデビューするという大暴挙。たまと人間椅子は今でも活動してるくらいだから個人の好き嫌いは別として相応の才能があったと見るべきだろうけど、*2スイマーズとかブラボーって……ねぇ? だって「きみとスイマーズ」とか「ハイになりましょう」だよ? あとはカブキロックスとかリモートとかじゃん。イカ天の功罪ってでかいね。
 まぁそんな感じでダメなものもあったけど、素晴らしい作品を作ってるけど、マニアックなために多数の支持が受けづらいものが、お茶の間に進出するという郵便的誤配回路が当時にはあり、それは中学生のぼくにとって、後の趣味を決定付けるような体験でした。だって、ゴールデン枠の特番でイカ天大賞とかやって、たまとか人間椅子とかを家族で観るって今では考えられないよ?
 それから、当時は普通のチェーン店系のCDレンタルショップでもイカ天バンドは勿論、赤痢とか非常階段みたいな滅茶苦茶マニアックなバンドのCDが貸し出されていました。*3だけど、この頃から音楽のカラオケ化が進み、それと共にメジャーな音楽界が急速にある主の画一化が進み、CDレンタル屋からはマニアックなCDが消え、どこも同じような品揃えになったと思います。

*1:中学生でクリスマスプレゼントって恥ずかしいね。

*2:人間椅子は好きです。

*3:非常階段の『蔵六の奇病』というアルバムは、マンガ家日野日出志先生の同名マンガから題名をもらっていて、そのマンガを引用したジャケットから内容を想像してクラクラしてました。後に実際に聴いてみて、そのとおりで笑ってしまうと共に気持ち悪くなったけど。思えば、当時はまだそういったアンダーグラウンドサブカルチャーをよく知らなかったし、おそらく当時の中学生は今よりもそういう文化に対する抵抗と憧れが強かったと思う。今はそういうものは雑誌やネットで簡単に見られるけど、当時はそういったものは手に入り難かったし、それらが見てはいけないものだという意識は明確に持っていた気がする。いきなり話がぶっとぶけど、当時の中学生のほとんどは、「人を殺してはいけない理由」なんて、考えもしなかったし。少なくとも、今みたいなリアルな問いではなかった筈。で、話を戻すと、サブカルチャーにおけるエロ/グロ/暴力の社会的な扱いって、宮崎事件と91年からのエロマンガ狩りを機に大きく変わったのをこの文章を書いて再認識した。