「オタク」であることについて。

 オタクがパロディを好む態度は、しばしば江戸の見立てと趣向の精神に比される。つまり、どちらも文脈のズレ具合を楽しんでいるという共通点があるというわけだ。しかし、オタクがパロディを好む理由には、知識偏重主義ともいうべき態度も挙げられる。
 オタクは、特に古い世代のオタクほど、オタクである生き方を「オタク道」と称し、アニメ/マンガ/ゲーム/特撮などの知識を数多く持っている者ほどオタクとして偉いと考える傾向がある。オタクがパロディを見る時、そのパロディとしての完成度を楽しむだけでなく、そのパロディが何を引用しているのかを判る自分を再確認できるのが楽しいというわけだ。
 だからオタクは、しばしばオタク相手に自分がどれだけオタク的知識を持っているかを自慢しあう。*1
 また、古い世代のオタクであるほど、オタク的な知識に限らず、あらゆる情報について、体系的なものよりも、非構築的で無駄な知識であるほど良いと考える傾向がある。*2言い換えれば、オタクが体系的な知――特にアカデミズム――に拒否反応を示すのは、オタク第一世代が「上の世代(大人)に対する異議申し立てとして、たとえば手塚系統の可愛らしいキャラがセックスをしたり、カルピス名作劇場のハイジとかクララを強姦するようなパロディ・マンガが同人誌界で一世を風靡した」*3のと同様で、社会の中で確固とした地位を築いているものに対する反発によるものだろう。
 ぼくもかつてはトリビアルな知識を愛した。*4しかし今ではそういった態度をとることは止めてしまった。単なる情報の断片をひたすら集積するよりも、ある事象や物事に興味や疑問を持った時に、それについて真剣に考え、自分が既に持っている知識や情報や理論と比較検討し、それらに組み込むことで新しい思考の足がかりを見出す方がよほど面白いと感じるようになったからだ。それに、無駄な知識を「無駄」だと徹底的に自覚して個人的に楽しむような態度についてはぼくは否定はしないが、無駄な知識はやはり「無駄」なのだから、そういった知識を体系的な知に組み込むこと無しに無駄なままにしておいて、それによって「無駄な知識」の意義を世に問うのはおかしくはないか?  
 などというと、雑学好きは「無駄な知識の良さをわからないなんてゆとりのない奴だ」というようなことをいうのかも知れない。例えば雑学の良さとして「学問では取り上げないものの見方がそこにはある」などということをいうのだろうが、ぼくはアカデミシャンの全てが良いと思っているわけではなくて、アカデミズム/在野の区別なく、断片的な情報を論理的/科学的に組み合わせることで得られる体系的な知の方が面白いといっているだけなので、上述のような反論は筋違いである。
 また、「人間は無駄な知識を感じることで興奮できる唯一の動物である」と観点から、未知の事物を知ることそれ自体の楽しさを賞賛する態度にしても、それは結局個人的な快楽の域をでない(脳内の科学的変化で説明がつくレベルだから当たり前だ)。だからやはりそれは個人で楽しめば良いのであって、それを持って雑学の良さを他人に証明しようとするのは、体系的な知を構築することの、つまり考えることの困難さから逃避しながら、他人から知的だと思われたいというルサンチマンに捕われた態度なのである。
 オタクであることの定義が、トリビアルな知や世間から認められていないもの=ダメなものをそれ故に好きだと考える態度だとしたら、ぼくはオタクにはなりたくない。ぼくは自分が興味を持ったこと、疑問に思ったことについては、真剣に、徹底的に考え抜きたいからだ*5
 
 また、ぼくはアニメやマンガがゲームが好きだ。しかも宮崎アニメや富野作品などの既に社会的な地位が与えられている作品も、世間一般からは認められていないようなエロマンガや萌えマンガも同じように好きだ。現在、エロマンガや萌えマンガなどが社会からは価値の低いものと見られていようとも、それはぼくの評価とは無関係だ。それに確かにエロマンガや萌えマンガにもつまらない作品は存在するが、その作品がつまらないのはエロマンガや萌えマンガだからなのではなく、その作品自体の問題である。もちろん、世の中の全ての人がエロマンガや萌えマンガを読まなくてはいけない、などとは勿論思っていないが、エロマンガや萌えマンガを読んでいるということで差別されたり、エロマンガや萌えマンガが規制されるのはおかしいと思う。
 だからぼくはアニメ/マンガ/ゲームの表現規制には反対する。だが、ここで重要なのはアニメ/マンガ/ゲームの表現規制が意味がなく、それどころかその規制こそが有害だと主張するだけでなく、アニメ/マンガ/ゲームが何故、有害だと考えられるのかについて深く考察することだ。
 例えば多くの国会議員は40才以上で、彼らが子供の時にはゲームやインターネットなんてなかったし、アニメやマンガも今とは全然違うものだったはずだ。
 人間は、よく知らないものを無気味に思ったり、不安に感じたりするものだ。これは老若男女、あるいは文化の違いを超えた、普遍的な現象である。
 だから、最近は未成年の凶悪犯罪に対する社会的な不安が強いので、これを解決しようとする時、大人はその原因を自分達がよく知らないアニメやマンガやゲームのせいにしたがるのは、ある意味で当然ではないだろうか。
 そのような不安に駆られた大人が、アニメ/マンガ/ゲームを規制しようとしている時、必要なのは大人達にアニメ/マンガ/ゲームがそんなに危険なものではないということを解ってもらうこと、そして同時に私達がアニメ/マンガ/ゲームに影響されて短絡的に犯罪に走るほど愚かではないということを解ってもらうことである。
 もし、この文章を読んでいる方が、アニメ/マンガ/ゲームが好きで「アニメ/マンガ/ゲームを規制してしようとしている大人は何て馬鹿なのだろう。自分達はそんなに馬鹿ではないのに」と思っているとしたら、自分達にそれだけの知恵があることを大人達にアピールして欲しいし、大人達の不安を理解するように心がけて欲しい。相手の気持ちを理解できないのに、自分の気持ちを相手に理解してもらうことなどできないからだ。また、それはおそらく非常に難しいことではあるが、あなたがアニメ/マンガ/ゲームをこよなく愛しているとしたら*6、その困難さにつきあい、それを乗り越えるべきだ。また、そうしたことを主張する者が、一般的な「オタク」の負のイメージである「不潔な服装、独善的な態度、相手ときちんとコミュニケーションをとれない、時と場所をわきまえずに自分達の好きなものの話をする、いつでもアニメやマンガのキャラクターグッズを持ち歩く」などの態度をとっていたら、「やはりオタクは不健全だ」という印象を強くするだけだろう。
 そして、アニメ/マンガ/ゲームを政府が規制するべきだと考えている方には、今やアニメ/マンガ/ゲームをこよなく愛しており、それが単なる娯楽や遊び道具ではなく、そこから様々なことを考え、学んでいる人間が数多くいる*7ことの意味をどうかもう一度考えていただければと切に思う。
 アニメ/マンガ/ゲームは、児童保護、青少年の健全育成の名の下に規制され、抹殺されるべきではない。必要なのは、それらを享受する人々が適切な読解力を持ち、現実のルールをわきまえるための判断力を育むことだ。そしてその育成はアニメ/マンガ/ゲームの実状をよく知らない人々が先導して行うのではなく、今のマンガ/アニメ/ゲームの実状に知悉している人々と*8、それを享受している青少年達自身によって行われるべきだ。
 現在、日本のアニメ/マンガ/ゲームが国内外から注目されていることを受けて、ようやく行政もそうした産業に注目し始めている。しかし、このままだと、アニメ/マンガ/ゲームをよく知らない官僚などによって、その真髄はダメにされてしまう。そうならないためにも、私達は斜に構えた、卑屈で独善的な態度ではなく、誠実な姿勢によって規制反対の声を上げていくべきだろう。少なくとも、ぼく自身は常にそうありたいと思っている。

 アニメ/マンガ/ゲームといった文化と社会の関係について考える際、東浩紀さんが以下のページに掲載された鼎談で述べられていることは、大いに参考になるので、一読をお勧めする。

http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2003_09/2003_09_02.html

*1:例えばオタクがオタク相手に「ウルトラマンレッドキングってさー、「レッドキング」って名前なのに白い理由知ってる? あれって本当は赤くペイントされる予定だったのだが、発注ミスで白いまま納品されちゃって、時間がなかったのでそのまま撮影されてしまったからなんだよね」などと嬉しそうに語るのは、どちらがオタクとして上なのか、オタクバトルをしているからなのである。

*2:ここで言及している世代論は、あくまで統計的な傾向であって、それに例外があることは、ここに明記しておく。

*3:『網状言論F改』所収の竹熊健太郎さんによる評論「オタク第一世代の自己分析」より。

*4:かつて友人と「大日本雑学党」という秘密結社(!)を結成したことがある。その組織の活動目的は「無駄な知識の普及」で、実際の活動は事あるごとに蘊蓄を語ることと、ゲーセンでクイズゲームをやることだけだった。つまり、トリビアルな知識にこだわる自分達の態度を「秘密結社結成」と大仰に言い放ち、そのくせ秘密結社の実態は存在しないという、名称と実態の落差が良いと思っていたのである。

*5:考えることの面白さを、ぼくに教えてくれたのは、ミステリとSFと哲学である。

*6:この、アニメ/マンガ/ゲームを他の何ものにも代え難いほど愛しているという態度こそを、ぼくは「オタク」と呼ぶことにしよう。

*7:たとえば今や出版界において、小説よりもマンガの方が圧倒的な発行部数を誇っているし、アニメ/マンガ/ゲームファンが集まるイベント「コミックマーケット」は年2回、来場者数30万人以上という規模で開催されている。

*8:既に現役を引退したような大御所マンガ家や国民的に支持されているアニメ作家ではなくて、正に不健全だと思われているエロマンガ家やエロアニメ監督、エロゲーリエータなどを含めたオタク系文化の現役の担い手達のこと。