オタクの定義。

 かなり以前に書いて、はてなに上げるのを忘れていたテキストを発掘したので上げてみる。

id:hhosono:20031127にも書いたが、ぼくは、はてなの質問メールにけっこう答えている。それはポイントを地味に稼ごうというのもあるが、質問メールに答えることは、はてなへのささやかな貢献につながると思っているからだ。
 これまでぼくが答えた質問に以下のようなものがあった。

オタクって何でしょう?(一般的な用例:アニメオタク)1.オタクの定義をしてください。(一般人との違いなどから)2.オタクの分類をお願いします。(可能であれば、モテるオタク/モテないオタクについても言及してください)

 この質問に対する回答は以下のページで読むことができる。

http://www.hatena.ne.jp/1067217410

 はてなに寄せられる質問の内容は多岐に渡るので、その全てに答えることは誰にもできない。ぼくもやはり自分がある程度以上の知識を持っていて、責任を持てることしか返答できない。だからこのような質問には、是非返答したいと思い、次のように答えた。

http://www.socion.net/papers/column/017.php
SOCION WEB PAPERS

「オタク」という語の定義は、岡田斗司夫氏を始めとする、「オタク」共同体内部の多くの論客から様々な定義がなされたが、それらは伊藤剛氏(id:goito-mineral)氏が『網状言論F改』(ISBN:4791760093)で指摘するように、オタク自身の実感に基づく、彼らのアニメ/マンガ/ゲームなどに対するアプローチのある部分の説明にはなっているが、現在のオタクの全体像の包括的な記述には程遠い。
寧ろ、精神科医斎藤環氏が指摘するように、オタクは「記述」することは可能だが、「定義」することは不可能だと考えた方が良い。それは、東浩紀氏が自身の著書『動物化するポストモダン』で、「オタク」の定義を一度棚上げにして議論を展開したことからもわかる(オタク自身は、非オタクによる定義づけを極度に嫌うから)。
 それでもあえて、オタクの定義を試みるならばアニメ/マンガ/ゲーム/特撮などに対する文脈の読み換え(パロディ嗜好)とキャラクターに対する愛好(たとえば萌えなど)があげられるかもしれない。そして、古いオタクほど、文脈の読み換えを重視し、若いオタクほどキャラクターに対する愛好を重視する傾向があるといえる。また、オタクを自認する人ほど、自分に彼氏/彼女がいない理由を「自分は(アニメ/マンガ/ゲームが好きな)オタク」であることを理由に挙げることが多い。そして、彼氏/彼女がいるアニメ/マンガ/ゲーム好きは、そうしたトラウマにとらわれないため、「オタク=彼氏/彼女がいないアニメ/マンガ/ゲーム好き」といえるかもしれない。オタクとコミュニケーションの関係については、このサイトが参考になる。
 ……と、硬い調子で書いてみましたが、参考になれば幸いです。

 オタクを個人や人格ではなく、集団または文化という観点からとらえる場合、その特徴が「パロディ」から「萌え」に移行したことだけでなく、「メイン・カルチャーへの異議申し立て」というシニカルな態度が薄れ、淡々とアニメ/マンガ/ゲームを消費するようになりつつある、ということもいえるだろう。もちろん、この変化は歴史への絶対的な記述ではなく、ある特定の地点から見たものに過ぎない。*1

 オタクの定義が困難なのは、おそらく二つの理由がある。一つはオタク系文化が質的にも受容のされ方としても大きく変化したこと、そしてもう一つはオタクが外部からの解釈を嫌うことによるものである。ぼく個人は、人格あるいは集団としてのオタクの定義にはあまり興味はない。しかし、今まで日本内部で培われてきたアニメ/マンガ/ゲームが持つ、独特の魅力については今後も考えていきたい。

*1:たとえばぼくは、現在、放映されているバラエティ番組のほとんどが非常に空疎なものに思える。しかしぼくより10歳以上年上の人から見れば、ぼくが愛して止まない「おれたちひょうきん族」もそのように見えるだろう。しかし、かといって「いつも世の中は変わらない」というのも間違っている。そのような意味での社会構造の普遍性は、おそらくあまり意味がないからだ。