「2005年日本国際博覧会開催記念展 世紀の祭典 万国博覧会の美術〜パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品〜」展に行ってきますた。

表慶館前のライオン。ちょっとおマヌケ


 最近、『次元往復』の編集をお手伝いしていたためか、美術への興味が復活してきまして、気になってネットなどで調べたところ、今夏〜秋はかなり面白い展示会がたくさんあって、その中で気になった万国博覧会の美術展に番長(id:Bang-cho)と行ってきました。

 実は最初は「日本漫画映画の全貌展−その誕生から「千と千尋の神隠し」、そして…。」展に行こうと思ったのですが、到着予定時間が閉館40分前とかになりそうだったので急遽、上野に行き先を変更。そして「よみがえる四川文明−三星堆と金沙遺跡の秘宝」展とどちらを観るか迷ったあげく、万博美術展に決定。だってこっちのが早く終わるんだもん。四川文明展も後日観に行きますよ、京極ファンとしては外せないですしね。

 内容は、明治維新の時に殖産興業および対外政策として日本の伝統美術や工芸がどのような変容を見せたか、という点に主眼が置かれたもので、当時の西洋の美術界に日本の文化が与えた衝撃と、逆に明治維新以降の日本が西洋の文化を学ぶ過程とが相互に影響した、複雑な文化運動*1だったということを具体的に提示したものでした。もちろん、日本の、アール・ヌーヴォーの代表画家であるアルフォンス・ミュシャの作品など、当時の欧米の美術品も展示されていました。 個人的には、当時のポスター・アートに関心があって、というのは、1.典型的な複製芸術であること、2.西洋の文化は伝統的にイメージ(=絵と写真)と言葉を別ものとして扱ってきたが、文字という側面から考えたとき、言葉と絵の境界線が不明瞭になるということを端的に示した、ということが考えられるからです。*2ぶっちゃけていうと、早速マネしようかと。

 この辺の問題について興味が出てきたので、さっそく図書館に行って万国博について調べてみよう。

*1:これは単に「文化」という観点から扱うのではなく、日本と欧米列強間の政治、思想、宗教、産業など多岐に渡る相互運動としてとらえるべきで、そのような問題系としてとらえる場合、カルチュラル・スタディーズポストコロニアルスタディーズのような方法論は必要不可欠であろう。

*2:端的に「書体」について想起するのでも良い。印刷媒体において、イメージと文字は"de-sign"という思想によって融合されることの意義を、私たちはもう一度考えるべきである。