おたくとオタクとotaku

「オタク」という言葉がある。元来は「おたく」と記述するそうで、命名者は中森明夫氏で、氏が大塚英志氏が編集主幹をしていた雑誌『漫画ブリッコ』のコラムで記述したらしい。そのコラムでは、中森氏はおたくに対して否定的、揶揄的に書いており、大塚氏から「差別的だ」と評されたという。
 一方、「オタク」という記述は岡田斗司夫氏が始めたそうで、氏が評論活動を始めた当時、日本が唯一世界に誇れる文化として「オタク」を宣伝していた。
 しかしやはり、「おたく」あるいは「オタク」という言葉には、どこか否定的な意味が否応なく刻印されてしまっている。
 ぼくの「おたく=オタク」の定義は「アニメ、ゲーム、マンガ、特撮、ライトノベル、フィギュア、コスプレィ……をこよなく愛する人々」というものなので、その意味での「おたく=オタク」を、今後は「OTAKU」と表記することにしよう。
 また、「おたく=オタク」は夏一葉id:natsu-k)さんが提唱するように、「おたく=オタク=男性オタク」と言えると思うので、「オタコ」と表記することにする。
 ここで断っておきたいのは、ここでいう「オタコ」は集団、文化としての「男性オタク」のことで、個々人において例外があることである。ただ、自分の好きなものを「ダメなもの、ジャンクなもの、正統から外れたもの」としながら「でも好きだ」ということや、「どうせ自分はオタクだからもてないし、ダメなんですよ」という自己プレゼンは、オタコ集団が培ってきた「文化」であり、社会集団的なコミュニケーション・ツールだと思う。
 上記の意見に対して、女性オタクも「『腐女子』とか言ってるじゃん」とかいう反対意見が予想されるが、それは、ぼくとしては、最近、ついに女性オタクもオタコ的な心性が伝染したのだついに女性オタクにもオタコから伝染したダメ好きが自称という形で顕在化したのだととらえている。

追記:そもそも「やおい」という言葉が「やまなし、おちなし、意味なし」の略であるということから考えると、女性オタクもかなり前からダメ好きなのかも知れない。しかし、パロディという方法論を、「作家=創作至上主義」による表現活動上の抑圧へのカウンターと考えると、「やま、落ち、意味」がなくても面白い表現は作りうるととらえることもできる。

 いずれにせよ、批判は歓迎しているので、皆様の積極的な意見をお待ちしています。