MAD TEA PARTY vol.1 in Flying Teapot終了しました。
というわけでレポなのだ。
4時に会場入りして、設営して、DJ開始。最初はわりとおとなしめにやるつもりだったけど、sachiの乱入でback to backになり、いきなりハードコアな選曲に。back to backで回すのって、互いの相性にもよるけど、面白いね。
1時間ほど回したところで第一部トーク開始。最初の出演者はマンガ評論家、ライター、編集者の永山薫さんとマンガ家の砂(id:sandworks)さんとサイボーグ・コスプレィ・フェミニストでライターで衣装製作者でイベント・オーガナイザーの夏一葉(id:natsu-k)さん。
今回のイベントの主旨は、「サブカルチャー(OTAKU系含む)に触れ始めた学生で、サブカルチャーの魅力と、現在の表現規制、青少年の生活への規制の状況を紹介する」ことだったんだけど、蓋を開けてみたら、学生ゼロ。というか8割方が知人友人(遊びに来てくれた皆様、感謝!)。というわけで、急遽、主旨を変更し、サブカルチャーおよび青少年に対する法規制の歴史を概観することにする。
表現規制の歴史は遡ればきりがないので、70年代のロリコンブーム、そこから派生したロリコンマンガの流れについて、永山さんに解説をお願いする。
ぼくなりの理解では、大体こんな感じだったと思う。
1. 70年代から80年代にかけて、エロ雑誌界で一定量のエロ要素を入れておけば、他のページは好き勝手ができることに編集者たちが気がついた。
2. 当時は陰毛が猥褻物だと考えられていたので、陰毛もなく、初潮を迎えていない幼女のヌード写真が新たなポルノとして流通していた。当時は駅の売店などで売られている雑誌でもロリコンヌード写真が掲載されていた。
3. 多くの読者はロリータ・コンプレックス、あるいはペドフィリアではないのに、そういった雑誌を女性器が観られるという理由だけで買っていた。
4. 同時期に三流劇画雑誌で内山亜紀、千乃ナイフらが、コミックマーケットであずまひでおらが手塚以降の戦後マンガの系譜に連なるような身体像を持ったキャラクターを使ってマンガにおける性表現を始めた。それまで、マンガにおけるポルノは劇画しかなかった。
5. ロリコンマンガの登場により、マンガ的、アニメ的表現のキャラクターとポルノが結びつく回路が形成された。以降、幼女だけでなく、「童顔巨乳」の女性なども描かれるようになり、現実の身体像とは異なるキャラクター表現の多様化が発生した。
6. 90年代初頭、和歌山県の一主婦の請願を機に*1、エロマンガの法規制運動が全国的に展開された。そこでは遊人の
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7. その流れを受けて朝日新聞が社説でエロ漫画を糾弾したところ、それまで「表現規制反対」と標榜していた知識人のほとんどがまともな対話、議論をしないままに朝日新聞の論調に同意していった。(この項は永山さんのサイトの04年10月22日付けのコラム「久しぶりにイベントに出演したの巻」の「 ■寛容と対話」の項を参照してください)
8. マンガに対する表現規制にまともな批判をできたのは知識人より、寧ろマンガ雑誌の編集者やマンガ家自身たちだった。
9. 大手出版社の談合により、エロマンガ雑誌、単行本には「成年マーク」がつけられることになった。中小の出版社は、それに従わざるを得なかった。
10. その後、各地方自治体でエロマンガ規制が行われるようになった。
永山さんの以上の解説を受けての夏さんの意見。
私は親がマンガを買い与えてくれなかったので、唯一買ってもらっていた『小学○年生』や児童館に置いてあったマンガを読んだ。小学校2年生の時に既に『小学6年生』を読んで、その中の初潮についての解説マンガや児童館に置いてあった
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続いて砂さんの意見。
「公然」と「猥褻」は共犯関係にある。性行為を含めた「猥褻」とされているものは、私的空間で享受される分には法的に裁かれることはない。「猥褻」なものが公的空間に持ち込まれたときに、猥褻罪として問題にされる。「猥褻」の基準を問うよりも、現在の法について考えるべきだし、「合法的な性表現ならば問題ない」という考え方自体について考えるべきではないか。
と、様々な意見が出ました。*3最終的には、表現者たるもの、「他者に向けた表現」ということを意識すべきだ、という感じでした。
続いて第二部は日本一の瓶博士、庄司太一さんのトーク&ライブ。
庄司博士は数十年、ガラス瓶を蒐集しており、その所蔵量は7万本を超えているという。博士は
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まずは庄司博士とこのライブのためにわざわざ駆けつけてくださった佐々木さんによるセッションで幕開け。
1曲目の「ボトルブルース」は日本の製瓶史をブルースにしたもの。「そもそも我が国の製瓶の歴史は〜」で始まるこの曲は、全て歌うと40分くらいあるため、途中を省略したバージョン。博士の弾き語りに佐々木さんのスティールギターの音色が心地よい。
2曲目の「瓶のハリケーン」は博士の幼少時の原風景を歌にしたもの。つくづくこの人はロマンティストなのだなと思う。博士も佐々木さんのハーモニーが絶妙。
ライブが終わり、ぼくが聴き手となって庄司博士のトーク開始。枕として、「概して男の子は分類、収集癖がある。昔は昆虫採集をしたり、切手や面子などを集めたものだが、最近は社会がメディア化、商品化しているので、トレーディングカードやフィギュアなど、「収集するための商品」を集める人が顕在化しているように思う」という話をふってみる。庄司博士応えて曰く「自分にとってガラス瓶はニュートラルなもので、その向こうに見えるものに興味がある。自分は原風景に対する回帰願望が強く、もっとも古い記憶は、親がいない時にガラス瓶で遊んでいた記憶があるので、それがガラス瓶に対する執着の源泉なのかもしれない」とのこと。そこで砂(id:sandworks)さんから「自分ももっとも古い記憶は母親がいない時にテレビを観ていたことだ」という意見が出た。また、観客として遊びに来てくださっていたマンガ家の環望さんからは「子どもの時の強烈な記憶というものは大抵、恐怖や不安に基づくもので、子どもにとっての最大の恐怖は往々にして親がいなくなることだから、そのときにたまたま瓶を持っていたことが後になって意味付け化されたのではないか」とのこと。どちらの意見も非常に興味深い。
それから話は変わって、博士のアメリカ留学時代の話へ。博士は、渡米以前から趣味程度にガラス瓶蒐集をしていたが、博士が留学した時代である60年代のアメリカはちょうど、ガラス瓶が切手、コインに次ぐコレクトブームが起きていて、すっかりその魅力にはまってしまったそうだ。その頃の逸話で興味深かったのが、アメリカでは禁酒法時代に野外に設営されたトイレで隠れて酒を飲むことが流行ったので、南部の荒野を掘ると、その時代のガラス瓶がたくさん発掘されたという話。これを"bottle digging"といい、ガラス瓶コレクターの基本だという。
また、博士は工芸品のガラス細工や中身が入ったものより、使い捨てられたガラス瓶に愛着を感じるそうだ。本来、単なる容器でしかない消費物であるガラス瓶に美や愛着を見出せるのは、やはりマニアのなせるわざだと思う。
てな感じで第二部も終幕。
第三部の合間にDJをやるも突如機材が壊れてしまうというトラブル発生。途方にくれる。
そして最後にライブをやったんだけど、さすがに無理がたたって、音はろくにとれない、曲進行を忘れるなどなどで散々な結果でした。他のメンバーには申し訳ない限りです。
とまあ、こんな感じのイベントでした。また折を見て開催します。次は原宿とかでゲリラDJとかやるかも。