永続するアニメ/マンガ空間。

最近は10時過ぎには寝て、7時ころ起きるという健康的な生活を送っている。今日も起床後、散歩に行ったのだが、そぞろ歩きをしながら、こんなことを考えた。
 現在の日本のアニメ、マンガ、ゲームを中心とした二次元ビジュアル文化には他には見られない、独自の進化を遂げている。大塚英志はその特色を「アニメ・マンガリアリズム」という言葉で表現している。

などに顕著にあらわれているように、大塚は主にこの語を手塚マンガを通して構想しているようだが、手塚マンガを起点に、手塚以降のマンガ家たちとマンガ、アニメ、ゲーム、キャラクターグッズなどを通じて展開されたメディアミックスという手法が日本の二次元ビジュアル文化の「オタク系」とつい言いたくなってしまうような独自の表現分野を作ったのではないだろうか。
 例えば
ドラえもん (1) (ぴっかぴかコミックス)

ドラえもん (1) (ぴっかぴかコミックス)

は一度連載を終了しながらも読者の要望により、連載が再開され、その後、明確な最終回を迎えていない。原作者である藤子・F・藤雄が鬼籍に入った現在もアニメ版は続行している。
サザエさん (1)

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にしても同様だ。また、
LUPIN THE THIRD first tv. DVD-BOX

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も原作を読んだことはないがアニメ版は観たことがあるという人は多いと思う。そしてもアニメ版でルパン役を演じていた山田康夫氏が亡き今も、長編テレビアニメ版は継続している。*1
 他にも
こちら葛飾区亀有公園前派出所 1 (ジャンプコミックス)

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など、主人公が年を取らないマンガ、アニメ作品はいくらでもある。こうした作品の中で、「永遠の子ども」たちを描いたマンガである「ドラえもん」の意義は大きい。そして手塚以降の上記のような流れがが80年代に*2
究極超人あ~る 1 (少年サンデーコミックス)

究極超人あ~る 1 (少年サンデーコミックス)

といった「終わらない思春期マンガ」に結実され、90年代の二次元ビジュアル文化におけるアニメ・マンガリアリズムの全面化を促したのではないだろうか。
 ……などと確証もなく記したが、連載やメディアミックスというシステムが要請したもののアニメ・マンガリアリズムに対する影響というのは案外大きいのではないかと考える今日このごろ。

*1:山田氏は生前、「自分が死んだらアニメ版ルパンシリーズはもう新作を作らないで欲しい」という意味のことを仰っていた。それほどルパンという役にほれ込んでいたわけだし、ルパンは自分にしかできないという矜持もあったのだろう。実際、ぼくは未だに栗田貫一のルパンには馴染めないでいる。「ルパン三世」という作品の著作権は、マンガ版を描いたモンキー・パンチ氏にあるが、実際のところ、「ルパン三世」という作品の評価はアニメ版を通じて培われたものである。だとしたら、それに多大なる貢献をした山田氏の遺志が踏みにじられている現状は一体いかなる権利によって正当化されるのだろうか。この点もぼくが現状の著作権保護法を疑問視する一因である。蛇足だが、山田氏以外によって演じられたルパンといえば劇場版アニメ作品

ルパン三世 風魔一族の陰謀 [DVD]

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と劇場版実写作品
ルパン三世 念力珍作戦 [DVD]

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がある。それぞれ、古川登志夫目黒祐樹氏が演じていた。「風魔一族の陰謀」は中学当時に劇場に観に行った記憶がある。

*2:マンガ版「うる星やつら」の連載が開始されたのは70年代末だが、便宜上、80年代という「ジャンル」に入れた。