望月さん(id:motidukisigeru)が更にぼくに再質問をされたので、とりあえず、一つだけ返答させていただきます。

 望月さんのid:motidukisigeru:20050121によれば、

 さて、オタクジャンルに限らず、エンターテイメントのほとんどは、記号に分解できます。

 例えば、連ドラでも、お笑いでも、様々な記号に分解できるし、そうした記号を再構成したり、新たな記号を発掘したりしながら、新作が作られてくるわけです。

 というか、人間が新たなものを作る過程というのは、即、旧来のものを要素分解し、その要素を再構築する中に創造性を発揮すること、と、言い換えてもよいくらいです。

 ただ、細田さんは、記号的操作が、オタク文化に、よく当てはまるとお考えのようです。その根拠はなんでしょう?

とのことですが、それを言ったら、あらゆる動物は五感を通して得た様々な情報を記号的に分解、再構成して記憶を形成しており、中でも大脳が高度に発達した霊長類である私たちの営み全般が記号操作によるものだといえます。
 ぼくがOTAKU文化における記号操作として言いたかったのは、OTAKU文化は主として視覚的な記号の操作を他のジャンルに比べてきわめてラディカルに実践しているということです。マンガやアニメを例にとりますと、マンガやアニメのキャラクターは写真や写実的な絵画に比べて、各作家/各作品によって程度の差こそありますが、基本的に様々な点で情報量が少なく、象徴的な記号として描かれています。*1また、昔、小学生向けのマンガ入門で髪型、目、鼻、口、顔の輪郭、耳をそれぞれ六種類くらいずつ出して、サイコロなどを使って出た目に対応するパーツを組み合わせて顔を描いてみよう、という記述があり、さらにそれを

ではパロディ化しています。それに「萌え要素」という概念が発生するほどまでにラディカルな記号表現の集積体としてキャラクターが意識されているジャンルは、他にはないと思います。
 「記号」と「言葉」の関係についてはソシュールの著書やパースの
パースの記号学

パースの記号学

、あるいは記号論の入門書としては
記号論への招待 (岩波新書)

記号論への招待 (岩波新書)

などが参考になると思います。

*1:それこそ、鼻の穴を描かないとか、産毛を描かないとか。