ゲームブックという「メタリアル・フィクション」。

 http://www.excite.co.jp/book/news/00021110724638.html
 

が扶桑社から復刊され、<ソーサリー>シリーズの完結巻『諸王の冠』が創土社から刊行されるんだそうな。
 ぼくは多分、ゲームブックのブームをリアルタイムで体験した世代だ。*1勿論、最初にやったのは『火吹山』で、同じクラスの誰かが買って、皆に広めたと記憶している。ぼくが始めてやったRPGはファミコン版『ドラゴンクエスト』で、RPGというものの面白さ、剣と魔法の中世ヨーロッパ的ファンタジーを知ったのも同作品だった。多分、今でも我が蔵書魔界の何処かでひっそりと『火吹山』やソーサリー四部作は眠っていると思う。*2
 ゲームブックの良さはまず、コンピュータゲームのRPGよりも安価であることだ。そして、『ドラクエ』などのコンピュータRPGよりも(テクストとしての)ストーリーの分岐点が多いことも挙げられる。*3
 『火吹山』の復刻は、この10年間くらいで加速化している、コンテンツ・リバイバルの一環なのだろうが、小説、アニメ、マンガ、ゲーム、インターネットとメディア環境がかつてなく多様になり、普及した現在において、今の子供たちがゲームブックをどう思うかは非常に興味がある。

*1:社会思想社での刊行が1984年。社会思想社って、ゲームブックとかTRPGのルールブック以外にもけっこう良い文庫本を出していたのに倒産してしまって哀しい。

*2:ちなみにもっとも好きだったのは。

*3:「文学、マンガ、アニメ、ゲームといったメディアで小説を享受する際に、もっとも想像力が必要とされる」というような、近代的な価値観をぼくは取らない。それは単に文学の権威主義に無自覚に阿り、メディアの発達が社会に与えた影響の歴史を無視し、それぞれの子供の時のメディア体験にのみ依拠した考え方だからだ。文学とマンガとアニメが豊富にあり、コンピュータ・ゲームの最初の隆盛期を幼稚園児/小学生として生きたぼくから見れば、それらのメディアを享受する際に使う想像力の質や方向性に差異があるだけで、ゲームは想像力の育成に乏しいメディアであるとは思わない。