大学で文学を学ぶということ。

 最近、はてな日記を回っていると、現役受験生の日記とか、大学生、あるいは過去に大学生だった人の回顧録などを見かけます。
 ぼくは94〜99年まで大学に通っていました。*1その時に得た体験を基に、大学で近代日本文学を学ぶことについて書きます。
 まず、文学部は就職の際に他の学部に比べ、つぶしが利きません。人文科学系の学部でもっとも利かないと思います。それでも英文科とか仏文科など、外国の文学を研究する学部なら、必然的に外国語と外国の文化に対する最低限の知識が身につくのでまだ就職活動などで有利な点はありますが、日本文学や哲学はかなり厳しいと思います。教員や司書や学芸員になるのも大変です。*2だから、日本文学を大学で専攻したいと考えている人は、その辺を覚悟したほうが良いと思います。*3
 また、これは大学で学ぶ上では全ての学科に言えることですが、受験する前に大学で何をやりたいのかを考え、それに見合った大学を受験するべきです。ぼくは受験の時に近代日本文学あるいは中世日本史を勉強したいと考え、自分の関心に応えてくれそうな先生がいそうな大学を調べました。今はインターネットという便利な道具があるわけですから、できる限り多くの大学のサイトを回って、各大学の教員の専門分野を調べておくと良いと思います。また、その学校の研究施設がどれだけ充実しているかも重要です。理系のことはよく解らないので言及しませんが、文系の場合は図書館が充実していることは大きな利点と言えます。
 最後に、近代日本文学を大学で学ぶとしたら、できればジェンダースタディーズとかカルチュラル・スタディーズとかポストコロニアルスタディーズなどの社会学、あるいはフランス現代思想比較文学などを解っている先生のいる大学に行くことをお薦めします。未だに小林秀雄などに依拠している先生に学ぶのはお薦めしません。理由は、今の文学研究・批評は「近代」という概念が有効だった時代の方法論は既に過去のものとされつつあり、日本文学研究以外で培われてきた学問を踏まえたものが主流だからです。近代日本文学を学ぶことの大部分は自分の専攻分野の作品とそれに関する研究書を読むことで成り立ちます。しかし、上記のような社会学現代思想を導入した研究書を読み、解らない点があったときに、それらについての知識のある先生に師事していれば教えを乞うことができますが、古い文学研究に基づいている先生では答えることができません。それに大して小林秀雄福田恆存、あるいは三好行雄吉田精一などの古い文学批評家、研究者の著作についてはそれらを批判、解釈した膨大な研究書があり、おそらく新しい文学理論に基づいた先生ならば答えられるはずです。
 ぼくは、大学で近代日本文学を学んで良かったと思うし、師事した先生も素晴らしい研究者でした。この文章が、これから大学受験する人々の一助となれば幸いです。

*1:2年留年したので。

*2:特に学芸員。それと、団塊世代の教員が定年退職する数年間は教員採用が多くなると予想されますが、それ以降はやはり教員の採用数は減るでしょう。

*3:就職を諦めろというわけではなくて、就職活動をする時は、他の学部より頑張ったほうが良いということ。