大塚英志と宮台真司の二重性。

新現実 Vol.2 (カドカワムック (178))

新現実 Vol.2 (カドカワムック (178))

再読。
 宮台さんの言いたいことがなんとなく理解できてきた。対して大塚さんの言いたいことは理解はできるが、自分でも認めているように「ずるい」と思った。大塚さんは言い訳が多すぎる。あと、「内面」と「残余」と「物語」をマジックワードとして使いすぎ。彼の実存的問題としては別に良いけど、対談とか批判でそれを持ち出すのは、読み物としては面白いが、大塚さんの言葉は言いがかりでしかないように思える。
 東浩紀さんがid:hazuma:20040423で宮台・大塚批判をしているが、大筋としては正しいと思う。そして、「ベタにあえて」があからさまなのが大塚さんで、根が深い、あるいは東さんの批判があたる部分もあるが、それなりに機能していのが宮台さんのような気がする。
 おそらく、大塚さんが「戦後民主主義」という時*1、自分を含めた各人の主体の重要性をそのまま社会のあり方と等価に語っているのに対して、宮台さんは社会システム理論的な観点から、社会に存在する各人の尊厳よりも社会システムの中から不要なコストを減らすことを重要視しているため、不要なコストを減らす方策は提示しているが、その過程の中で一定の犠牲がでることは不可避のことと思っているのではないか。
 あくまでも日本社会、というレベルで考えたときに言論人の発言としては、大塚さんの主張のほうが耳ざわり良く聞こえるが、そこにはある種のロマンティシズムがあり、有効性は疑わしい。それよりは宮台さんの提出する方法により説得力を感じる。

*1:そして多くの民主主義者がそのようなことを言うとき。