モモーイ、新作を語る。

http://anime.excite.co.jp/interview/momoi_haruko01.html

 「 私、日本古来から伝わる昔話やおとぎ話って、萌えのルーツだと思ってるんです。日本で一番古い物語と言われてる『竹取物語』ノつまり『かぐや姫』こそ、まさに萌えのルーツのような物語じゃないですか。」という発言は、正直いただけない。表現の歴史は重要だが、ある表現に対する先行表現の中から同一性を取り出し、それを持って心的な連続性を素朴に語るのは「2chのルーツは室町時代の落書だ」というのと同様に意味がない。

日本史鑑定

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だったと思うが、明石散人さんが「将棋のルーツはインドに求められるが、その同一性よりも、日本の将棋の駒の形やルールの差異に注目すべきだ」というようなことを仰っていて、まさしくその通りだと思う。
 あらゆる表現は、つきつめればオリジナリティなどない。表現者が享受した体験やそれまで鑑賞してきた作品の印象の複合体であり、その複合の妙趣を近代において「オリジナリティ」と言い出しただけに過ぎないからだ。

26日追記:人間の成長段階で一番最初に獲得する感情は快/不快だ。それが成長における学習過程で言語によって分節化される。また、言語の歴史においても新たな言葉=概念が生まれること、あるいは使われなくなることで、その分節化は更新されていく。とすれば、「竹取物語」が書かれ、「萌える」という言葉が今日のおたく的な意味で定着する以前には、「竹取物語」に萌えを見出すことはできなかった筈だ。「萌え」という概念を獲得し、過去の作品をそこから鑑賞すること自体はもちろん個人の自由だが、それは決して昔から「萌え」があったことの証左にはならない。ここで、日本では伝統的にか弱いものを慈しむ伝統があったという観点から萌えの伝統性を考察することもできるが、そうした「もののあはれ」的な心性が日本列島全域に、そして日本の歴史を通じて常にあったと言えない以上、萌えの伝統性は疑わしい。現代人と古代人の心的構造は大脳生理学で論じられる範囲程度の共通性しかなく、心的構造の多くは各時代の環境によって大きく異なるということを忘れてはならない。*1

――この『ワンダーモモーイ』はもちろんのこと。UNDER 17の楽曲って、さっきも言った "萌えソングのひな型" という印象を、強く受けてしまうんです。
私が萌えソングのひな型ですか?? 本当にそうだとしたら、嬉しいことですよね。最近でこそ "萌えソング" や "電波ソング" なんて言われてますけど、UNDER 17以前にはなかった言葉でしたし。曲の中へアニメの名前を入れるのだって、自分が聞き手としてモこういう歌があったらいいのにな "ということを形にした結果として出てきた" それこそ、洗濯ネットがあったらいいなと思って洗濯ネットを作っちゃった主婦の発明と同じ感覚なんですよ。

――ほほぉ〜!!
たとえばの話ですけど、パンクロックを演ってる人は、その生きざまが自分に合ってるから演るわけじゃないですか。黒人の人が R&Bを好むのも、そう。私が "萌えソングを歌う" のも、幼少の頃から聴いてきたルーツ・ミュージックが歌謡曲やアニメソングだからこそ、その要素が自然と出ていくんだと思うんです。

 モモーイのこうした思いは、ファンとして素朴に納得できる。モモーイの曲の尋常ではない強度を考えると。

*1:例えば、生物としての霊長類は数十万年存在するが、「人間」という概念はここ300年くらいに限定しても大きく変化している。