アニメ/マンガ/ゲーム空間のセクシュアリティの補足。

 id:hhosono:20031008#p5で最近のエロマンガにおけるセクシュアリティの表現について書いたところ、ケーゴさん(id:keigo2001)という方が、id:keigo2001:20031016で「ちょっと微妙だなぁという部分があるのは確か。それはご本人のセクシャリティによるのかもしれない。少なくとも主体が男性か女性かで感覚が違うのは確かだと思う」とコメントされていて、仰るとおりだと思いました。例の図式に対するもっとも冷静な批判だと思います。
 また、夏一葉さん(id:natsu-k)が「おもしろい図だね。でも、男性向け←→やおい だろうか?とか、百合はやおいの極限、という考えも捨てがたいトコロ」というコメントを寄せてくれました。これも大いに説得力のある批判であると共に、お二人の御意見によって、新しい図式を思い付きました。それが以下の二つの図式です。

《オタク系マンガ作品に表現された組み合わせとしてのセクシュアリティの分布》

【男性主体の性欲中心的異性愛
 ↑男×女
 |ふたなり×ふたなり
 |男×ロリ
|女×女装少年
 |年上の女性×ショタ(姉×弟など)
|ショタ×ショタ
 |男×男(やおい
 ↓女×女(百合)
【女性主体の関係性重視的同性愛】

※アニメ/マンガ/ゲームにおける「ふたなり」とは生物学的な半陰陽とは異なり、「男性器を持った女性」のことである。

《オタク系マンガにおけるセクシュアリティの男女間での消費の相関関係》

【男性オタク】
 ↑男×女
 |ふたなり×ふたなり
 |男×ロリ
 |女×女装少年
 |女×女(百合)
 |年上の女性×ショタ(姉×弟など)
 |ショタ×ショタ
 ↓男×男(やおい
【女性オタク】

 まず、この二つの図では、それぞれの極に近い程、その要素/消費量が多く、遠い程、その要素/消費量が少なくなると考えて下さい。
 上が、性表現を扱ったオタク系マンガ作品(=男性向けとやおい)には男性主体の性欲中心的異性愛(=男性向け)と、女性主体の関係性を重視した同性愛という二つの極があって、オタク系マンガで表現されるセクシュアリティの組み合わせはこのように分類できるのではないかというもの。オタク系作品における百合では、肉体的な性欲は皆無といってよく、主体は女性であるために女性主体側の極限におきました。
 上が作品そのものの分類であるのに対して、下は男性オタクと女性オタクがマンガにおけるセクシュアリティを実際にどういった割り合いで消費しているかを示したものです。
男性オタク、女性オタク共に、自分達の極に近いものほど、消費量が多いと考えて下さい。
 まず、図式を二つに分けたのは、夏さんが指摘したとおり、百合はある意味でやおい的精神の極限と考えられるものの、オタク系マンガ作品において、「女×女」よりも「男×男」を描いた作品が圧倒的に多いからです。だから、消費の実際と、その作品で表現されているセクシュアリティの有り様は異なるだろうと。
 で、上掲の二つの図の分布に関して、ぼくのセクシュアリティというバイアスがかかっているのではないかというケイゴさんの指摘は適切だと思います。だから、これについて本気で考える場合は、主観による印象だけではなく、コミケカタログや実際に市場に出回っている作品そのものを適切な方法で統計をとって、それを基に再分類するべきでしょうね。
 それから、この問題を考える上で、東浩紀さんが編者を務めた

はとても参考になります。未読の方は是非ご覧下さい。この本を読むと、アニメ/マンガ/ゲームをより楽しめますよ。