現代の祭り。

 かつて、祭りは地域に根付いた共同体の意識と文化によって支えられていた。だから、それは共同体の構成員しか参加できないものだった。しかも祭りは本来、参加するものであって、「見物」するものではなかった。それは地域的な共同体の団結を高めるためのもので、共同体の構成員達が「生」の喜びを共に分かち合い、「生」の労苦を慰撫し、「死」という外部を内部に取り込むための装置だったのである。
 しかし、地域集団がかつての共同体的意識や文化を支えられなくなった近代以降、人間は自分達の在り方の変容を迫られた。それまで地域集団が支えてくれた様々なことを、全て自分で行うことを強いられたのである。
 例えば今では服装は、その人の個性の現れという側面が、前近代よりも強い。それは現在の我々の大部分が前近代のような身分や地域性などによって束縛されていないために、どんな服を着ているかによって、その人がどういう文化的背景を持っているか、あるいは社会性の度合いなどを計られてしまうからだ*1
 このように、現在では、共同体は地域集団が担う部分よりも、趣味や文化によって機能している部分が大きい。*2だから、祭りの有り様は変容していった。
 その結果、祭りは地域集団、つまり「ムラ」的なものによって支えられるよりも、ライフスタイルとしての文化的共同体によって支えられる方が一般的になったように思える。ネットの中にある様々なウェブサイトから生まれた「祭り」もその一つといえる。
 ぼくは「祭り」は見物するものではなく、自主的に参加し、楽しむものだと思っている。そして、それを楽しむ権利は、「祭り」の開催を最初に宣言した者だけでなく、「祭り」に参加する全ての人が持っていると考えている。
 だから、ぼくたちが自分達のはてなダイアリーで告知した「祭り」を面白そうだと思う人は気軽に参加して欲しいし、「祭り」をより面白くする案があったら、是非教えて欲しい。「「祭り」は俺達が仕掛けたんだから、俺達のやり方に無条件に従え」などとは決して思わない。*3別に、はてなユーザーだけのものだとすら思っていない。もちろん、「俺達の「祭り」は絶対楽しいから全員参加しろ」とか「俺達の「祭り」を楽しめないやつはどうかしてる」などというつもりもない。
 地域集団的な共同体が崩壊し、「個人」や「主体」について考えることを余儀無くされた私達は、「祭り」の持つ意味をもう一度考えた方が良い。

*1:一般にオタクのイメージが悪いのは、「オタク」というイメージが「汚い格好」というイメージと結びついてしまっているからで、オタクに対する偏見を解消したいと思う人は、まず、こう云った問題について考えるべきではないか。

*2:往々にして隣人よりも趣味の合う友達の方が、より近い存在であることは、もはや明らかだろう。

*3:ぼくは、本質的に「敵と味方」の二分法的な発想が出来ないし、人生なんて楽しければそれでいいのだ。