自殺
友達から聞いたのだが、あるゴスロリ少女が自殺したという。自殺してしまった原因は、失恋のショックだったという。
彼女自身については、ぼくは何も知らないし、彼女に対して投げかける言葉も持たない。「まだ若いのに勿体無い」とか「失恋くらいで」などというのは、世の中と自我の両方が、何もしなくても安定して受け入れられる人々の言い分だからだ。*1かつて相当不安定だった自分としては、彼女の悩みとかつての自分の悩みが全く違うということを認識しながらも、彼女の哀しみがどのようなものだったのかを、どうしても考えてしまう。
今はただ、彼女の御冥福を祈ります。
ぼくがこの事件を知った時に反射的に連想したのは、やはり大槻ケンヂの仕事についてだった。「ゴスロリおっかけ少女」についての一連のエッセイや筋肉少女帯/ソロ活動でのゴスロリ少女的な感性を歌った楽曲の数々……そしてその頂点として君臨する傑作アルバム
- アーティスト: 筋肉少女帯,大槻ケンヂ,平田穂生
- 出版社/メーカー: MCAビクター
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大槻ケンヂは、「予言者」的な人なのかもしれない、と思うことがある。今回のこともそうだし、「詩人オウムの世界」と地下鉄サリン事件との奇妙な符合にしても、彼にはそうした面がある。しかし、彼がこうした事件を予見して作品を書いたと考えてはならない。これはあくまで単なる偶然だからだ。重要なのは、大槻ケンヂがあたかも現実の事件を予見したかのように見えること、もっと云えば、彼の持つサブカルチャーと文学が奇妙に混交した想像力が、現実の事件を記述しうる条件を正しく認識することである。*2
大槻ケンヂという人は日本のサブカルチャー内部の、オトコノコ的想像力とオンナノコ的想像力の二つを兼ね備えた、類稀なる存在だ。前々から考えていたことだが、やはりぼくは大槻ケンヂの日本のサブカルチャーにおける存在意義について考えるべきなのかもしれない。いや、「べき」などと云わず、考えていきたい、と本当に思う。