時間が/ない=無限にある。

 ここ2〜3日、体調が悪かった。その結果、昨日から今日にかけて、寝込んでいた。
 おそらく、精神的にかつてないほどにハイになってあれこれ動き回っていたので、肉体が悲鳴をあげたのだろう。
 そう思って昨日から静養したら、だいぶ良くなったので、こうしてmnemoの公開もできる。有難いことだ。
 ぼくは前にも書いたように死ぬことが怖くない。幽霊などと呼ばれている類もまったく怖くない。*1だから(あるいはその要因として)過去も未来もない。感じるのは、「過去」や「未来」という時間的な不可逆的方向性に起因する幻想を含んだ「現在」だけだ。
 過去や未来は人間の想像力の中でのみ、作られる。そして、記録にも記憶にも残らない過去は存在しない。*2
 だからぼくにできるのは、せいぜい後悔しないように生きることと、恥ずかしい行為をしないようにすることだ。つまり善く生きる――人前でセックスをしようが、脱糞しようが、好きな女の子を四肢切断して豚扱いしようが、それが他人の迷惑にならず、喜ばれるような境地に達すること――それがぼくの願いである。しかもそれは遠い目標ではない。既に始まっている。善く生き続けること、仏教の言葉を使うなら悟後の修行の大切さこそがそれを可能にするのだ。
 願うのみならず、実行すること、生き続けることの重要さ。それがJapanese style Buddhistたるぼくのスタンスである。

*1:何せ明かり一つない筑波の山の中を30分間、ライト無しで独りで歩けるくらいだからね。

*2:10億年前に死んだ、名づけることさえ不可能な微生物の一生など、だれが記録=記憶できよう?