親父天国。

 石原が都知事になったときから、こういうことになるのは時間の問題だと思っていたけど、ついに来たか。赤松啓介先生が『夜這いの民俗学 夜這いの性愛論』(ASIN:4480088644)で仰っているように、セックス=コミュニケーションなんて、実際にやってみる以外に学ぶ術は存在しない。
 かつては性愛的コミュニケーションを学ぶ・伝える伝統が村落共同体の中にはあった。それが夜這いである。赤松先生は夜這いや差別など、柳田民俗学=近代国家=キリスト教的道徳観が抑圧したものを民俗学の立場から研究してきた方である。
 石原はキリスト教的/武士的倫理観に基づいて、自分の性欲を抑圧し、「女子どもを護る」という名目で、「コミュニケーションは男同士でやれ、セックスは生殖行為以外は認めない、どうしてもセックスがしたかったら女を適当にみつくろってレイプして孕ませてしまえ」と男どもに薦めているようにぼくには思える。
 こうした状況について、かつて一石を投じたのがブルセラ援助交際ブームの最中に論壇に登場した宮台真司だった。そのとき、宮台さんはコギャル達に(砂さんの用語を使えば)分身共感していたのだと思う。
 しかし、その後、宮台さんは「流動性の波をサーフィンしていたと思われた女子高生たちが皆、メンヘル系になってしまった」とか「自分が親父達の実存に揺さぶりをかけたために、児ポ法とか青対法が作られた」というようなことを言い、その結果としてロビイングを始め、「亜細亜主義」ということを主張し始めた。
 宮台さんは、何故、メンヘル系の女の子たちのための活動をしないのだろう。これは要約すると、「女子どもに飽きたから、親父にはまろう」という宮台さんの立場の変更で、結局、宮台さんは女性に分身共感していなくて、窃視的同一化をしていたのだ。
 こういった親父にのみ都合の良いルールに付き合う必要はない。しかし、政治力というものはなかなか侮れないので、それに対するカウンターは面倒くさいがやりたいと思う。カウンターを怠ったがゆえに取り返しのつかない状態になるよりはましだから。