著作権と科学の発展と道徳と国家

http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/jiken/2004/09/10/

 表現活動を商業ベースで行っている人々にとって、確かに著作権は重要な問題で、それは護られるべきだと思う。ただ、現行の著作権法は国家やそれぞれの表現者が所属する会社(出版社やレコード会社など)に有利で、実は著作権保持者、つまり作者は会社側に搾取され過ぎている。その意味では、P2Pの発展やネットワークの整備は実は個々の表現者に貢献する筈だ。何故なら、中間搾取が大幅に減るから。
 そのことについて日本でもっとも早くから自覚的であった人の一人が平沢進さんだ。彼の音楽活動は一貫してテクノロジーとのコラボレーションであり、商業至上主義との格闘の歴史であった。現在の平沢さんは、メジャーレコード会社との契約を破棄し、自分の納得のいく形態で音楽活動を進めている。しかも彼はMP3での自曲の無料配信を始め、音楽を楽しむ自由さと、テクノロジーの可能性を実践している人でもある。
 近い将来、あらゆる表現は商業至上主義や(一部の人々にとってのものでしかない)道徳至上主義から開放される日が来るだろう。

 しかし、上記のような考え方は、20世紀初頭にヨーロッパで夢想された科学的未来主義の反復でしかないのかも知れない。何故なら、上記ニュースで報道されているように、このシンポジウムでは以下のような発言があるからだ。

 まず、独立行政法人科学技術振興機構の研究員である阿部洋丈氏は、匿名プロキシ・ソフトウエア「Aerie」の一般公開を中止したと語り、

どうやったら善良であることを示せるのかわからない。ガイドラインが必要。

もともと技術的な興味で研究をはじめ、ソフトウエアを開発したが、完全に匿名でのアクセスを可能にするこの技術は、自分でコントロールできないものを生み出したのではないかという恐れも感じる。

と発言している。
 それに対して成蹊大学法学部助教授の塩澤一洋氏は、

ソフトウエア自体は包丁と同様に法的には中立。Winny開発者の裁判では著作権侵害幇助が『故意であったかどうか』が争点になっている。

『善良でないと違法』ではない。中立であれば違法ではないと言える。ただし,例えば原子力発電のように危険な技術の開発者には,社会的に高度な注意義務がある。注意義務は倫理的な問題だが、法的問題になった際に司法の判断に影響を及ぼす。

と指摘しており、NTT サービスインテグレーション基盤研究所亀井聡氏は、

P2Pは,ネットワーク・インフラを使い尽くす傾向があり,また Webに適応している現在のインフラと相性が悪い。今後社会に受け容れられるP2Pサービスが登場したとしても,普及戦略を誤るとネットワークと共倒れになる可能性がある。

と分析している。

このことに対してぼくが思うのは京極夏彦さんが、自作の登場人物に

科学は技術であり、理論であって本質ではない。科学者が幸福を語る時は科学者の貌をしていてはならないのです。至福の千年王国などと云う科白は、あなたが口にして良い言葉ではない。

『魍魎のはこ』(ASIN:4062646676*1

と語らせているように、科学者が考える範疇に収まる問題ではない。この問題については、科学者は法律家、宗教家、社会学者、倫理学者、政治家と慎重に協議を重ねるべきである。宮台真司さんはこのような問題を検討することができるインテリゲンツィアを「新しき知識人」と呼んでいる。この問題については東浩紀id:hazuma)さんが発行しているメールマガジン波状言論』04年1月A・B号が参考になる。
 そして何よりこの社会で生きている私たち自身が切実に考えていかねばならない問題でもある。

*1:「はこ」の漢字がなかったので平仮名表記にしました。