女性と議論すること。

 ぼくはトーキング・ハイである。だからやたら語りたがる。世の中で下らないとされていることでも、高尚だとされていることでも、ぼくにとっては自分が興味があることであれば、等しく話題になる。
 ぼくは大学で日本近代文学を専攻していたのだが、ぼくの通っていた大学は変わっていて、一年生の時から演習をやっていた。*1ぼくは文学を学ぶ、ただそのためだけに大学に入ったのだが、一番面白い授業は演習だった。だから、一年生の時から演習があったのは本当に幸せなことだった。
 大学に入る前は、文学部なのだから皆、(程度の差こそあれ)読書が好きで、(関心のある領域に違いこそあれ)文化に興味を持っていると思っていた。しかし、大学に入ってみたら、九割以上の学生は普段、ほとんど本など読まないし、授業のレポートで課題図書を読まなければいけない時には、適当に斜め読みして最低限、単位さえ取れればいいという態度の人ばかりで愕然とした。
 そんな学生生活の中で、数人の友人との交流を除けば、他の学生と学究的な交流を持てたのは、演習だけだった。だからますます、演習が好きになり、自分の発表の時だけでなく、他の学生が発表する時も積極的に発言した。*2
 ぼくは、他者とは真面目にコミュニケーションをしたいと常に思っている。コミュニケーションするに値しないと感じる人には、できるだけ近寄らないことにしている。
 しかし、一方で、ぼくが真面目に議論をしようとする時、そこに余計なものが介在することがある。例えばぼくの無意識的な相手への侮蔑であったり、議論に熱中するあまり、語調が強くなったりすることがそれである。
 こういったことは、議論の妨げにしかならない。それに、ぼくの体験上では、男性には「白熱した議論」であることが、女性にとっては「何だか脅されているみたい」と感じることがあるようだ。
 この点については、多いに自戒したい。

*1:今でもそうだと思う。

*2:時に発表者をおいてきぼりにして、ぼくと教授の一対一の議論になることもあった。