望月さん(id:motidukisigeru)との議論だが、ぼくの意見に対して、望月さんがすぐに反論してくれるのに対して、ぼくの反論は概して遅くなりがちである。近頃はそれがかなりひどくなっている。それはぼくと望月さんの価値観や立場などの相違を如何に横断して議論をするかが、ぼくにとってかなり困難な作業だからだ。
 ぼくと望月さんの議論は、東浩紀さんの著作の妥当性、客観性をめぐるものだが、ぼくと望月さんが議論する際には、望月さんがid:motidukisigeru:20050122で仰っているように、不用意に学術用語やアカデミズム独特の表現は使わないほうが良いと思う。何故なら、それでは話は平行線を描くだけだし、ネットという、活字媒体と違って読者の傾向を予測しづらい場における議論ではできる限り平明な表現で議論をするほうが第三者である読者や正に議論をしているぼくと望月さんの価値観の相違を埋める(または再確認する)ことに役立つからだ。
 学術用語というのは、過去の偉大な先達たちによって営々と培われてきた叡智の結晶である。だから、その概念の基礎を一度理解すると、理解している者同士であれば、議論がスムースに行われるし、より高度な議論が行える。しかし、それは学知にコミットしている人たちの間だけで行うべきものであって、関心領域が違う人間がコミュニケーションを取る際には、お互いの共通言語を確認する必要があり、不用意に専門用語は使うべきではない。*1
 しかし、今のぼくは、ぼくの理解している東さんの理論を学術用語を使わずに(あるいは使う場合は、それに解りやすい解説をつけて)文章を書くことはかなりの時間を要する。ぼくからの望月さんへの応答はid:hhosono:20050208で止まっているが、その後も暇を見つけてはあれこれ考えていた。というのは、これまでの望月さんが自身のはてな日記で他の方々と議論をする際に、感情的な反発や言葉尻の取り合いになって、議論が議論でなくなっていくことがあるように思えたからだ。ぼくとしては、そうした議論はしたくないし、ぼくが提示したいのは、東浩紀の理論のおおまかな整理である。
 そういうわけで、ぼくが望月さんに応答するために、いま少し時間をいただければと思う。こちらから議論をしましょうともちかけておいて、こちらの都合で議論のペースを決めてしまうのは心苦しいが、有益な議論をするために、どうか有余をいただければ幸いである。
 一部の人々に誤解をされているようなので、ここで明言しておくが、ぼくは確かに東さんの著作に大きな影響を受けているし*2、その議論の大枠は「使える」ものだと今も思っているが、その全てを全肯定しているわけではない。ぼくはぼくなりに、東さんの理論の中で間違いや誤読を招くような表現があると思っている。
 だから、望月さんとの議論を通じて、自分の見識を広げ、その上で東さんの著作に対する「批判」を書こうと準備している。
 最後に、ぼくは望月さんとの議論に限らず、ぼくが公開した全ての文章に対する「批判」を歓迎する。それは文章を書き、公開する者にとって大きな喜びだから。

と書いたら、即、望月さんからレスがあった(id:motidukisigeru:20050216)。早い、早すぎる。そして論点が非常に的確にまとまっている。現在、熟考中ですが、できる限り早く返答させていただきます。

*1:言うまでもなく、学術用語に限らず、あらゆる専門領域に言えることだが。

*2:一時期、『波状言論』の編集スタッフをやっていたくらいだし。