OTAKU評論/批評/研究。

 OTAKU文化に対する評論、批評、研究は、まだ文学や映画や美術のそれに比べれば、歴史は浅いものの、確実に存在する。それらの中には、非常に重要なものもあるが、やはり大半は印象論の域を出ないものが多いように思う。おそらく、そうした成果は、質、量ともにマンガ>アニメ>ゲーム>ガレージキット、コスプレその他のオタク文化といった状況だろう。*1おそらく、このような状況が続けば、OTAKU文化は今後、苦しい立場に身を置かざるをえない。何故なら、そうしたものに興味のない人々による政治的圧力が加わった際に、批評や研究が機能しなければ、いとも簡単に潰される可能性が高いからだ。その意味でも、OTAKUの実感に留まらない、客観的かつそうした文化に興味のない人々にも一定の説得力を持つ言説は必要である。
 また、所謂第一世代オタク文化についての評論は唐沢俊一氏、岡田斗司夫氏、大塚英志氏、竹熊健太郎氏などによって多くの評論が出されている。プレオタク世代についても夏目房之介氏や呉智英氏などの著作がある。そしてオタク第三世代については、東浩紀氏、佐藤心氏、更科修一郎などが精力的に言及している。
 それらに対して、(ぼくが寡聞にして知らないだけかもしれないが)オタク第二世代文化論はほとんどない。
 ぼくの考えでは、80年代後半から89年(宮崎勤逮捕)まではオタクのある意味での楽園期だった。そして、80年代後半から始まった角川書店に代表される(それまでにない形の、キャラクターと作品世界主導型の)メディアミックスや、あの時期の奇妙な「オタクマッチョ」とも言える熱血主人公系の作品群や格闘ゲーム、TRPG、「キャプテン翼」や「鎧伝サムライトルーパー」などによるやおいバブルなど、パロディ/オマージュ的な作品製作体制からデータベース的な消費の過渡期にあった時期の考察はほとんどないのは非常に奇妙なことに思える。
 ぼくは、評論とか批評といった仕事にはあまり興味がないし、自分でやるにはあまりにも力不足だとは思うが、その時期に思春期を過ごしたものとして、その時代に何があったのかについては、是非概略だけでも文章化したいと思っている。……出版社/編集者の皆さん、その辺のことについて商業媒体でぼくに書かせてください(切実)。

*1:しかもアニメに関しては、宮崎作品と押井作品ばかり。