中学校に行ってきますた。

 庄司先生が某中学校で3年生の卒業記念講演会&ライブをするので、P.A.その他のお手伝いをしてきました。
 前日から庄司先生のお宅に泊まらせていただいて、朝、8時過ぎに車で出発。途中、ピアノとパーカッションを担当される方を乗せて、目的地に向かった。
 朝だし、五十日なので混んでいることを想定して早めに出発したのだが、パーカッションの方のナビゲートで裏道を駆使して予定よりも早めに到着。PTAの方々とご挨拶をして、セッティング開始。
 施設自体は公立中学校の体育館であることを考えるとかなり良い方だったが、メンテナンスが悪くてワイヤレスマイクが4本中2本使えないことが当日わかったり、万一の場合のためにパーカッションの方が持参してくださったミキサーを使って有線で舞台中央の接続端子につないだらノイズが発生するしで結構ヤバめ。挙句、舞台上の照明をつけたら電力不足または電波干渉でノイズが増えるし。
 こちらがセッティングしている時に女子中学生が体育でバレーボールをしている姿を見て「うわ、マジ中学生だよ!」とか妙に感慨深かった。もっとスレてるかと思ったけど、そういう子はあまりいなかった模様。
 その後、昼食をいただいて、リハーサルらしきものをやっていよいよ本番。
 最初に、その学校で一番恐れられていると思われる先生が「こらー、フラフラするなー!」とか「第一ボタンを外している人はちゃんとしめましょう」*1とか注意していて「マジ中学だよ」とか妙に興奮してみたり。
 最初に校長先生と地域の青少年保護運動みたいなことをしている方の挨拶があり、いよいよ講演開始。最初は庄司先生のガラス瓶マニアになるきっかけとか、瓶の魅力について述べられていたが、アメリカでのボトル・ディギング*2の様子を記録したビデオを上映したりしていたのだが、後半は庄司先生なりの教育論というか、「愛」についての話題になった。先生のお話は理性よりも感性に訴えかけるものなので、かえって中学生には良かったのではないかと思う。
 そして第二部はライブ。庄司先生によるギター&ボーカルとピアノ、パーカッションという編成。曲目は、
1.蜃気楼の海辺
2.ボトル瓶パズル
3.瓶のハリケーン
4.旅立つ君のために
EN.空き瓶の歌
という構成。幻想的なムードで徐々にアッパーになっていく1〜3曲目と、しみじみとした4曲目&アンコールという編成で中学生には「瓶のハリケーン」が、父母の方々には「旅立つ君のために」が受けていた模様。
 今回、P.A.&舞台監督として参加したのだが、自分としては細部のツメが甘かったことが反省点。もっと主催のPTAの方々と密に打ち合わせをしておけば良かった。あと、最初、ミキサーのある放送室でバランスを取っていたのだが、会場の音像とは違ったので、時々放送室と会場(体育館の外周によくある二階みたいな通路)を往復して、曲調に合わせてミキシングを調整してみたのだが、どうしてもワイヤレスマイクで音を拾っていないピアノとパーカッションが犠牲になってしまったのが心残り。でも庄司先生のギターとボーカルを立てないと、バンドとして成立しないので止む無しという気もする。いずれにせよ、今後の課題だな。
 終了後、生徒からお礼の言葉をいただき、何故かぼくまで舞台に上がって、生徒代表の方々から花束を戴いてしまった。裏方のぼくにまでそのようにもてなしてくださったのは、気恥ずかしい反面、嬉しくもあった。その後、舞台袖で生徒さんたちと持ってきたデジカメで記念写真を撮った。
 ライブの後、PTAの方々にご挨拶したら、非常に好評だったのでほっとした。一休みして、またパーカッションの方のナビゲートで裏道を駆使して帰路に着いた。
 あの生徒達の何割が庄司先生の講演&ライブに感銘を受けたかは、正直わからない。後日、生徒からのアンケートを送ってもらえるそうだが、子供は狡猾だから、そうした学校行事でのアンケートを額面通り受け取ることはできない。しかし、あの中の何人かは、感心または感動しただろうし、あの時に得心するものがなくても、その後、何かの出来事によって庄司先生の言葉や音楽を思い出して何か考えることだろう。そうした「郵便」が、たとえ一人でも良いから届くことを切に祈る。
 というわけで、15年ぶりに中学校を満喫してきました。思春期万歳。

*1:学ラン/セーラー服でなく、ブレザーだったけど。

*2:古い瓶は地中に埋まっていることが多いので、考古学調査のように発掘するんだそうです。しかもアメリカの場合は禁酒法時代に隠れて野外トイレで飲んで、そのまま便槽に埋めて、いっぱいになったら便槽を埋めていたので、その跡地を発掘すると当時の瓶が出てくるとのこと。