募金と近代。

 先日、家に募金活動をしている人がやって来た。タオルを2000円で売って回っていて、その中の売上の一部を老人ホームなどに寄付しているという。
 京極夏彦さんの

文庫版 塗仏の宴 宴の支度 (講談社文庫)

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文庫版 塗仏の宴 宴の始末 (講談社文庫)

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ではないが、富を持っているもの、与える者だけが偉いという考え方は資本主義が確立した、近代以降のものである。徹底的に利己的であるという立場からも、余裕があり、気が向けば自分の考えに基づいて寄付をすれば良いのだが、ぼくは募金しなかった。
 その理由は、金銭的にも余裕がないし、第一、募金団体のほとんどは金銭を集めておきながら、どのように使ったのかについての信頼に足る報告が乏しいからだ。税金もそうだけど、公共財や相互扶助の重要性は解るが、その徴収システムが信頼できないというのは明らかに問題がある。90年代以降、日本でそうした社会に対する信頼性、自明性が明確に瓦解した。ぼくは基本的に社会とか政治とかに興味はないのだが、そんな奴でも否応なしにそういったことに直面せざるを得ない昨今は……けっこう厳しいな、やっぱり。
 欧米を無批判に礼賛するのは愚かだが、それでも欧米の金持ちの文化、社会に対する金銭的支援の振る舞いは良いことだと思う。ホリえもんがそういう姿勢を見せたら感心するんだけど。後、豪邸自慢とか成金趣味をひけらかしている有名人とか。*1
3/26追記:まぁ、仮に金銭的に余裕が出来たら、それは今までぼくを援助してくれた人、お世話になった人に恩返ししますよ。つまりまず家族。んで、次が仕事先のよくしてくださった作家や編集者や先輩、師匠、友達。で、次がOTAKU系文化と出版業界と音楽業界。とか言って、家族と身近な人々に恩返しするくらいしかできないだろうけど。

*1:最近のテレビ番組のあからさまなバラエティ番組化(あるいはスペクタクル化)の傾向は観る気をなくす。