10時ごろ起床。朝食をとる。毎年1月末から4月は花粉症その他によって肉体、精神ともに低調するのだが、今年は特にひどかった。4月末からの2週間は特にひどく、睡眠時間帯も乱れまくったので、復調に努める。朝食後、散歩。散歩、入浴、排泄、入眠直前は妄想したり日頃の考えを発展させるのに最適の機会だと思う。
 マッキントッシュさまのケーブルがおかしいので、秋葉原へ。秋葉原はコンピュータの街だがやはりマッキントッシュ製品は少ない。本体はまだしも、マック用の周辺機器などの類は本当に少ない。いくつかのショップを見て回ったが、アップル社純正のG4用の電源ケーブルは見当たらず。おそらく規格さえ合えば純正品でなくても良いのだろうが、多少気が引ける。しかしおそらく純正品は高いので、非純正品でも良いかなとも思う。
 空腹のため、日高屋というラーメン屋で豚骨ラーメンを食べる。日高屋は前から気にはなっていたのだが、入る機会がなかったのでちょうど良い。食べてみたところ、値段を考えれば美味しいと思う。ここ数年、800円〜1000円のラーメン屋が増えたが、ほとんどの店は値段に見合う味を提供できていないので、安くてそこそこ美味しい店のほうが好き。
 帰り際に、おでん缶を売っている自動販売機の前で、眼鏡+体操着の女の子を発見。何かの撮影らしい。一瞬、秋葉原を「鎖国化」して、「入国」するにはコスプレを義務化したら面白いのにと思ったが、強制はつまらないので却下。強制されることほどつまらないことはない。
 帰宅後、ウィンドウズPCをいじる。夕食後、ゲーセンに行ったら『魔界村』が置いてあったので遊ぶ。最近、レトロゲームを置いてあるゲーセンが増えたように思うが、それも食玩やマンガ、アニメDVDなどと同じで団塊ジュニアをターゲットにしているのだろう。あと、コンピュータ・ゲームも回顧するだけの歴史を持ったということか。十数年ぶりにやった『魔界村』は2面でゲームオーバー。ぼくは昔からゲームは下手の横好きだったが、それでも往時は5面までは行けたのに、この体たらくは本当にやばい。
 ロラン=バルトのエクリチュールの零(ゼロ)度 (ちくま学芸文庫)を読んでいる。バルトのテクスト論については先行知識が多少あるので内容はおぼろげながら理解はできるものの、本書での文体およびエクリチュールの用法が一貫していないように思えて理解に苦しむ。例えば

文体には、つねに何か生なものがある。それは、用途のない形式であり、意図の所産ではなくて激発力の所産であり、思惟の垂直で孤立した側面のようなものである。
(中略)
文体の暗示は、深みへと割り当てられているのだが、語りは水平的な構造を持っていて、その秘密は語と同じ線の上にあり、それが隠すものは、その連続体の持続そのものによって解きほぐされる。

というような箇所は納得が行くのだが、26〜30ページあたりのエクリチュールと〈歴史〉の関係、あるいはエクリチュールの両義性がどうも理解しがたい。まあ、一度読んで解るようなら苦労はないわけだし、読み進めていくうちに感得するところもあるだろうから、ゆっくり読むつもり。