メディアと表現。

 昨日の日記で筋少のことを書いたら、るみねさんが「筋少のライブは本当にすごかった」と書かれていた。*1
 るみねさんのお気持ちは非常によく解るが、ちょっと違うと感じた。
 「筋少のライブは本当にすごかった」のではなく、「筋少のライブは本当にすごい!」のである。
 筋少のコアなファンで、筋少のライブを全て観た人など、一人もいないはずだ。だから筋少の全てのライブの中で、真のベストなど決められるわけがない。筋少のライブに行ったことがあり、その感動を今でも忘れていない人は幸いである。筋少の凄さを覚えているのだから。
 映画とレコードが発明以降に生まれた私たちは、「あの時、あの場所にいられなかった」ということの「意味」をよく考えなければならない。筋少解散後に筋少のファンになった若い人たちは、自分たちが「遅れてきてしまったこと」を嘆く必要はない。筋少のアルバムやライブビデオは今でも入手可能である。それだけで既に幸せではないか。
 かといって、「ライブ」の一回性を否定したいわけではない。特に演劇などにおいては、その「生」の感覚は重要だと思う。

*1:id:king-show-chan:20050708参照