太宰治のこと。

 「斜陽」発表後に「斜陽族」などという言葉が流行し、以降、時代の寵児であり続けた太宰は、死後も数年〜十数年毎にブームになった。80年代以降に限って言えば、小泉今日子さんが太宰ファンであることを公言したために太宰ブームが起き、以降も

のようにアニメ化されたり、役所広司さん主演でテレビドラマ化されたり、河村隆一氏主演で映画化されたり(「ピカレスク-人間失格-」)、滝本竜彦さんとか佐藤友哉さんなど、若い作家にも影響を与え続けており、今日でも太宰の作品は読み継がれている。*1
 太宰の魅力と今日性については
太宰治論 (新潮文庫)

太宰治論 (新潮文庫)

太宰治 (文春文庫)

太宰治 (文春文庫)

太宰治 弱さを演じるということ (ちくま新書)

太宰治 弱さを演じるということ (ちくま新書)

あたりが非常に参考になる。奥野さんは研究者であるにも関わらず、常に「ぼく」という一人称で著述した方で、世界一の太宰読みと言っても過言ではない。そしてその「ぼく」語りが斉藤美奈子さんのようなフェミニストに「うざい」と言われる所以なのだが、太宰や奥野さんの文章はフェミニストにすら(あるいはだからこそ)無視できないほどの迫力を持っている。

  私は太宰治については、ずっと昔熱中していて、近年になって冷めてきた

『國文学 解釈と教材の研究』昭和57年5月号所載、「Ⅱ共同討議 太宰治の作品を読む」より、三好行雄の発言

 三好先生のように、ある時期太宰の作品に熱中し、その後、太宰と距離を取る人は少なくない。小説家でも、島尾敏雄を始め、そのような人は数多くいる。また、三島由紀夫のように太宰に対して同属嫌悪を露にする人も多い。多くのフェミニストはマッチョな作家よりも太宰のような作家を嫌うかも知れない。

 結局、誰も太宰を無視できないのだ。彼の実生活に近い人生を送っている人は少なからずいた/いるだろうし、これからもいるだろう。しかし、「日蔭者の苦悶」「弱さ」「生活の恐怖」「敗者の祈り」を巡る自意識の在り方をこれだけ克明に書き、ある読者には「まるで私のようだ」と熱狂させ、ある読者には「こんな気持ちが悪い奴はいない」と嫌悪感を掻き立てた作家が他にいるだろうか。
 受け手には、作家の人生に踏み込む権利はないし、どうでもいいことだ。鼻をほじりながら作った作品でも受け手に何かを強く感じさせればそれは良い作品と言えるし、逆に全身全霊を込めて作った作品でも受け手が5分で放り出すようなものは駄作でしかない。
 全ての(自称)非モテよ、ニートよ、引きこもりよ、オタクよ、ライトノベル好きよ、『ファウスト』読者よ、脱社会的存在よ、いじめられっこよ、全ての永遠の思春期を送る者よ、太宰作品を読め。
 全てのフェミニストよ、政治家よ、教員よ、教育評論家よ、国家の衰退を憂える者よ、太宰作品を読め。
 これがぼくの言葉である。

 あと、はてな内での太宰作品/上記ドラマの感想を書いている方々の日記にリンクしておく。
http://d.hatena.ne.jp/manshinsoui/20051011
http://d.hatena.ne.jp/fleurette/20051010
http://d.hatena.ne.jp/platinaocean/20051010
http://d.hatena.ne.jp/kano-a/20051010
http://d.hatena.ne.jp/h41/20051010
http://d.hatena.ne.jp/poietes/20051010
http://d.hatena.ne.jp/mxoxnxixcxa/20051010
http://d.hatena.ne.jp/dimetea/20051010
http://d.hatena.ne.jp/thebomb/20051010
http://d.hatena.ne.jp/Bang-cho/20051010#p1

*1:とか書くと奥野さんみたいね。