清涼院流水について補足。

 流水大説が駄洒落や語呂合わせなどの言葉遊びを執拗に施されており、そのキャラ立てが過去のアニメ/マンガ/ゲーム/ミステリなどの影響を多分に受けているということだけで「清涼院流水黄表紙などに見られる地口や滑稽、あるいは歌舞伎などの見立てと趣向の精神を現代に復活させた」なんてことを書いている/今後書く人がいることは想像に難くないが、それはやはり間違い。流水大説は明らかにノイズが充溢したデータベースの想像力によるものだから。
 そんなことをいう人がトンデモ本を好きだったりあまつさえ書いているとしたら、失笑すらできないね。