煙草

 先日、江古田を徘徊していたらゴールデン・バットを売っていたので久々に買ってみた。ゴールデン・バットとは戦前からある煙草の銘柄のことだ。しかも1個130円、両切り。しぶいよね。
 ゴールデン・バットというと

 甲府へ行って来て、二、三日、流石に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまえに座って、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸い、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、という唱歌を、繰り返し繰り返し歌ってみたりしているばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかった。

太宰治富嶽百景*1

を思い出す。高校生のときに格好つけて吸ってみたが、その頃は喫煙の習慣がなかったので、すぐに吸わなくなったけど。そういや太宰の墓がある三鷹の禅林寺の近くの煙草屋にはちゃんと(?)バットが置いてあったっけ。行ったなぁ、桜桃忌。
 高校生のときは毎年行ってて、あれは2年のころだったか、侘しい太陽が西の空に沈み行くころ太宰の墓前に何となしに座っていたら、やはりお参りに来ていた、年の頃は60か70過ぎのお爺さんが話しかけてきたので二言三言へどもどしながら応えていたら、その老爺は墓前に供えられていた太宰の単行本を指差して、「これ、持ってないんですよね。欲しいなぁ。持っていってもいいですかね、太宰さんは怒りますかね?」などと突如訊くものだから内心びっくりするやら呆れるやら、ぼくは神でも仏でも太宰治でもないのに、と思いながらも「さあ、まあ、どうなんですかね。本は読むためのものですからね」とうつむきながら応えた。するとその隻腕の老人は嬉しそうにその文庫本を懐に収めて墓地を後にしたのだった。
 ぼくは誰もいない太宰の墓前にしばらくひっそりと立ち尽くし、参拝者の散らかしたごみを片付けて帰った。帰り際にやはり同じ禅林寺にある森鴎外の墓を横目に「良かったんですかねぇ……」と思った。教科書で見た美髯の文豪は何も応えてはくれなかった。何せ死んでるからね。

 煙草といえば芥川の

奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇 (岩波文庫)

奉教人の死・煙草と悪魔 他十一篇 (岩波文庫)

も即座に思い出す小説である。なんでも芥川と太宰に結びついているぼくのニューロン。自殺小説家の壁か。

*1:

富嶽百景/満願 [新潮CD]

富嶽百景/満願 [新潮CD]